わからないのに
聴きもせずに
表面的にActovityを提供するということは
「あなたのためのActovity」ではなくて
私が困らないように何かやってほしいという意図を
暗黙のうちに、でも、明確に
対象者の方に伝えてしまっている
ということなのに。。。
どのレベルであったとしても
Actovityを提供する時には
自分の中で提供するに足る根拠を
明確に言語化できているということ。
最低限、援助として提供するならば。
6月 12 2013
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6月 11 2013
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6月 10 2013
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6月 07 2013
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5月 31 2013
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5月 31 2013
認知症のある方に出会ったら…
「認知症」という診断名がすでにある方なら、まず最初にADLとコミュニケーションを評価しましょう。
ADLとコミュニケーションのそれぞれについて
何ができるか、できないか。
どこまでできて、どこからできないか。
どんな風にできて、どんな風にできないのか。
これで、その人の現状がおおまかに把握できると思います。
そこからさらに詳細に現状を把握するために個々の要素について絞り込んだ評価をしていけばよいと思います。
その過程で、診断疾患から生じる症状がどんな風に現れているか
診断疾患にはない症状の有無についても確認できればなお良いと思います。
ここで重要なことは、必ず状況とセットで評価する…ということです。
状況というのは自分を含めた環境のことです。
ここが臨床ではよく見落とされがちでそのために適切な評価ができずに困惑してしまうということが起こりがちなのです。
一番最初は、まず挨拶から始まりますよね?
最初の自己紹介とご挨拶で、言語的な意思疎通の可否と短期記憶の可否が確認できます。
「○○さんですね?リハビリのよっしーと申します。初めまして。」
「〇〇さんの下のお名前を教えていただけますか?」
「□□という下のお名前はどう書くんですか?」
このように尋ねてどんな風に反応が返ってくるのか…それが評価の第一歩です。
最初の自己紹介と挨拶が同時にスクリーニングの場でもあります。
もしも、この時点で適切な答えが返ってこないのであれば、その後の評価を構成的面接(場面設定)で行うことは困難だという判断ができます。それは評価場面の選択ができるということで評価できないということではありません。観察主体の評価から始めてみようという判断ができるのです。
そして、適切な答えが言語的に返ってこなかったとしても何らかの「応答」があったはずです。
その「応答」を異なる場面でも確認します。
また、言語的な意思疎通と短期記憶が可であれば、直接尋ねることができます。
「○○さん調子はいかがですか?」
「○○さんの暮らしの困りごとを一緒に解決していくのが私の仕事なんです。」
「〇〇さんのことをいろいろと教えてください。」
そして相手が答えたことに対して、質問をふくらませていく。
相手が答えていないことを尋ねる時には、答えなくてもよいという留保をつけながら尋ねます。
これらの評価をすすめる過程でその方の対応のパターンというものが滲み出てきます。
そのパターンから生活歴を類推することが重要です。
最初の評価ですべてを確認しようなどと思わなくてよいのです。
評価をしぼりこんでいく、回を重ねるごとに評価を深めていく、評価の精度を高めていくという姿勢が重要なのだと考えています。
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5月 27 2013
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5月 24 2013
もちろん、近年、実習地では合否判定をしない
という養成校だってあるけど
到達目標に対する達成度判断までなくなったわけじゃない。
「私は実習落とさないから」
と言ったということは
合否判定のある養成校の学生を受けていたということだし
そういう言葉でバイザーが本当に伝えたかったのは
緊張するな。リラックスして全力発揮しろ。
なのだとは思うのだけど
意図せずに、暗に、でも、明確に実習生に伝えてしまったのは
(自分自身にも表明してしまったのは)
私は、そこまで言わなければ実習生の緊張をほぐし能力発揮できるような指導はできません。
自分の指導能力不足をルールを曲解することでしのいでいます。
実習生に対しても
そこまで言わなければあなたはリラックスして能力発揮できないでしょう
って言ってるってことと同義なのに。。。
つまり、
表面的には良い言葉と受けとめられている言葉の真意は
バイザー自身に対しても
実習生に対しても
本当は「信頼」の欠如した言葉なのだということ。
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