Tag: 実習指導

私はやらない実習あるある その3

IMG_0944

私はやらない実習指導 その3
学生をむやみには褒めない。

実習だけをきりとって、どう学生を指導したらよいか
そんな風に考えている指導者は少なくないようですが
臨床家としての前体験として実習があるのだという視点で
私は考えています。

学生さんの変容した行動については言語化して伝えますが
それは褒める必要があると考えているわけではありません。

褒められる指導を受ければ
褒められようとして行動するようになります。
それってヘンじゃない?

私たちは対人援助職として
対象者にとって必要で可能な行動変容を促すのが仕事です。
何も「すごいね」「ありがとう」って言われたくて
仕事をするわけじゃない。

「あなたのおかげです。ありがとう。」
そう言われて嬉しくないわけはないけれど
それは結果として起こることに過ぎなくて
そう言われることを目的としているわけじゃない。

宮大工の西岡常一さんも
「弟子を教える時には褒めない。
褒めれば褒められようとして仕事するようになる」
と言っていました。

リハの世界に限らないように感じているけれど
「結果として起こることの目的化」による誤解って
結構多いように感じています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1832

私はやらない実習あるある その2

我慢のしどころ

私はやらない実習指導 その2
「なぜ?」とは学生さんには尋ねない。

指導者が学生さんに「なぜ?」と尋ねるのには
2つの目的があると思う。

1つは、純粋に学生さんの思考過程が知りたかった時。
もう1つは、学生さんに思考過程の再考を促したい時。

でも
学生さんの立場にしたら
指導者に「なぜ?」って尋ねられるのって
プレッシャーですよね (^^;

学生さんに余分なプレッシャーを与えずに
目的が達成できるのであれば
そちらの方法を選びたいと考えています。

ふだんの学生さんの言動やフィードバックでのやりとりから
学生さんの思考過程はだいたい推測できるし
明確に確認したい時、その必要がある時には
「私には、あなたがこうやって考えているように受け取れるんだけど
実際のところ、どんな風に考えているのか教えてほしい」
って、その通りに尋ねれば良いと思っています。

そうでなくて
学生さんに思考過程の再考を促したいのだとしたら
情報収集した事実たちを紙に書き出して(ここが大事)
この事実Aとこの事実Bからこう考えたとしたら
この事実Cについては、どう考えたらよいのだろう?
情報と思考過程に論理的整合性がないことを指摘します。

そうすれば
学生さんは再考せざるを得ない。

「なぜ?」と尋ねられるよりも
より効率的に学生さんに指導できると考えています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1831

私はやらない実習あるある

ちょっと待った

よくありがちな実習指導
でも、私はやってないコト
こうした方がいいと思うコトを書いてみます。

まずは、その1
「どこがわからないの?」

とは学生さんに尋ねません。
「どこまでわかった?」
と尋ねるようにしています。

実習指導者が
学生さんにどこが分からないのか尋ねたくなる時は
学生さんにしてみたら、大抵の場合に
何がわからないのか、わからないのは何なのか
わかってない時だったりする。

そんな時にそんな風に尋ねられても
それこそわからないし
かといって、正直にそんな風に言える雰囲気でもないし (^^;

学生さんは(学生だから当たり前ですが)
わかったつもりになって
わかってるような気がしてるだけで
明確にはわかってない。ことの方が圧倒的に多い。
(だから実習が必要なんです)

明確にわかっていることは、どこまでなのか。
そこを学生さんと共有する方が建設的だと考えています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1830

考えがズレる?前提がズレてる

IMG_0944

考えがズレてる
のじゃなくて
その考えを導き出した前提がズレてる
ってコト、結構多い。

本人なりには、一生懸命考えたことを再考を促しても
なかなか受け入れられなかったりしますが
その前提となってる「事実」については
双方ともに「確認−納得−了解」が得やすい。

「事実Aと事実Bと事実Cって、ここに書いてあるけど?」
って確認すれば「はい。そうです。」って相手は答えられる。
「事実A・Bと事実Cって矛盾してない?」と聞くことで
「!」と整合性のないことに
「自発的に」「間違いなく」了解できる。
(この時に話をするだけじゃなくて
情報収集した事実ABC…を紙に書き出しながら話すと
より明確になります)

もしも、思ってもらえなかったとしたら
「事実Dは事実A・Bと矛盾するかな?」
と双方が共有できる事実に照らして話をすることができる。

これを積み重ねていくと
事実の積み重ねによって
事実が語り出す「状態像」が自然と絞り込まれてくる。
そうやって「考える」ことを体験できる。

「考える」ということは「憶測」ではないということを。

双方ともにストレスなく、建設的に話ができるし
何よりも、臨床に出てから必要な「態度」の体験学習ができる。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1823

考えの根拠の確認

IMG_0520

どう考えたって自由だけど
自由だからこそ
考えが事実にもとづいて説得力のある
整合性のあるものかどうかの吟味は必要だし
提示した考えにもとづいた実践が
目の前にいる方にとって本当に有効かどうかの確認は必要

考えを検討するのではなくて
その考えが合理的で整合性のある根拠=事実にもとづいているのか
その考えをPDCAをまわすことで検証したのか
それが大事

そういう責任と義務を私たちは負っている
職業選択した時点で。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1822

必然として考えが導き出される

IMG_0945

対象者の状態像把握において
必要な情報を適切に収集できれば
それらから自然と必然的に考えが導き出されてくる。

もし、そうでない時には
収集した情報が不十分が不適切か
どちらかなんだと思う。

「考える」ことの適否を検討しても
その前段階の情報が不適切だったら
意味がないよね?

「考え」は根拠をもとに、自ずから語り出す。
そう感じています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/1821

どこまでわかった?

「どこがわからないの?」
実習生に対して私はこんな風には問いかけません。

「どこまでわかった?」
私が問いかけるとしたらこういう風に問います。

私にだって
わからないことが無数にあって
だからこそわからないことをわかってはいない。
わからないことを自覚しろ
…っていうのは論理的に無理かと(^^;

でも
わかっていることなら明確に言語化できます。
ただ単に
わかっているつもりになっていたことなら
言語化が曖昧になります。

どこがわからないポイントなのか
それを把握するのは指導者の役目だと考えています。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/757