Tag: コミュニケーション

おせっかいだけど

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ここにこれから書くことは
すごくおせっかいなコトだけど

物語を読むのって
物語の世界との対話であり
著者との対話であり
自分自身との対話でもあるから
その時々の自分で読み取れることしか読み取れない。

その時その場のその関係性においての対話という
唯一の関係性が成立してる。

逆に言えば
そういう「関係性」の中に
自分自身の身を浸すことだから

作業療法士として
あるいは他の職種でも
ナラティブとかSDM(Shared Decision-Making)とか
もしも、本当にそういった方向性を目指したいなら
あるいは、Act.選択の適切性に悩んでいるなら
知識やツールの習得ではなくて
自分自身が「物語」を「読む体験」をするといいと思う。

リハに関わる世界にいる人で
「物語」を読んでる人って
そんなに多くない印象を抱いています。

だから
対象者の方の物語も読みにくいんじゃないかなぁ。

だから
SDMの扱われ方が
単なるツールに堕してしまうんじゃないかと

目の前にカタチとして提示されてる物語が読めないのに
目の前に存在している人の
カタチとしては提示されていない物語が読めるのか?
… それは、難しいよね (^^;

本気でそう思っています。
おせっかいなコトだけど。

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POSTインタビュー その3

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POSTさんへのインタビュー その3が掲載されました。
http://1post.jp/2015/12/07/interview143_sato_yoshie03/

インタビューはこれで完結ですが
新たに、私の連載も決定しました!
ありがたいことです。
嬉しいです。

テーマは食事介助。

最重度の認知症のある方でも
スプーン操作を変えるだけで劇的に食べ方は変わります。
そのようなケースは枚挙にいとまがありません。

脳の萎縮が少ない、健康な部分が多いお年寄りなら
もっと早く、もっとラクに行動変容が起こります。

「認知症のある方がうまく食べられないのは仕方ない」
「認知症のある方の誤嚥性肺炎は仕方ない」

あからさまに言われているけれど
本当はそうじゃない。絶対に。

これには留保がついています。
そのことを私たちが忘れています。
「私たちが適切な食事介助ができなければ」…という
私たちの側の問題という前提要件が見落とされています。

私たちの側の問題であれば
私たち自身で解決・改善することが可能です。

そのことを1人でも多くの方にお伝えしたいと思っています。
連載記事掲載まで今しばらくお待ちください m(_ _)m

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感受と思考は継続し判断は保留

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なかなか、できそうでできないコト。
でも、とっても大切なコト。

わからないことに出会った時には
感受と思考は継続し判断は保留する

実践している人に出会えると
尊敬します。

わからないことに遭遇すると
焦ってしまって
なんとか、答えを見つけようとして
その場でふと目についたり拾えたりする
「コタエもどき」のモノに手を出してしまいがち

でも、こんなに無責任・不誠実なコトはない。

今確実にわかっているコトを手がかりに
眼を開いて耳を澄まして、聴き続ければいいだけなのに。

肝心なことは
聴いてみなければ、わからないのに
案外、聴きそびれていたりする。

それは、私たちの側の問題だから
私たちで解決少なくとも改善できる問題だと思う。

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暗黙に置いている前提要件

我慢のしどころ

暗黙に置いている前提要件を明示する。

案外、落とし穴になっていることだと感じています。
誰かと議論する時でも
講演などでお話する時でも

結果としての意見同士をやりとりしている時に
意見の相違ではなくて
実は、双方が暗黙のうちに設定している前提要件が異なっている
ということが結構あります。
そりゃー意見だって異なりますよね (^^;

そういう時には
それぞれが自明だと思っていて疑うこともない
暗黙のうちに設定している前提要件を確認すると
理解が進むことがあります。

逆に言えば
自分が話をする時には
できるだけ前提要件を明示しながら話すように気をつけたり
相手の話を聞く時には
できるだけ前提要件を推測しながら聞くようにすると
「話がわかる」ようになったりすることがよくあります。

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システムの扱い方の問題

我慢のしどころ

システムの扱い方の問題なのに
違うシステムに交換しちゃえば
問題解決できるかのような認識が問題だと思う。

結局、同じコトが違うカタチで現れるだけ。なのに。

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POSTインタビュー その2

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「POST 理学療法士によるリハビリ職者を目指す人のためのサイト」に
私のインタビュー記事その2 が掲載されました。
http://1post.jp/2015/10/21/interview143_sato_yoshie02/

よろしかったら、お立ち寄りください。

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認知症のある方の言葉

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進行した認知症のある方は
何もわからない。と思われているかも。ですが
そんなことはありません。

言語的な疎通困難のために
HDSーRをとることすらできない方でも
「俺はよー、ここ(頭を指して)がよー、こうだから(掌を開く)よー」
「私はバカだから」
「何にもわからなくなっちゃった」
ふとした時にそうつぶやく方は大勢いらっしゃいます。

自分がそのような場面に遭遇しない=事実がない
そんなことはないのです。

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BPSDの改善じゃなくて

ちょっと待った

認知症のある方の
「BPSDをどうしたら改善できるのか」じゃなくて
「BPSDが起きてる場面全体を観察」することが最初。

その時に
たいていの人が忘れてるのは
認知症のある方の評価を根拠に観察する。ということ。

評価は評価として行っていたとしても
その評価と場面の観察が切り離されてることがすごく多い。

「見れども観えず」になってる。

認知症のある方が
その場面の中でどんな風に感受し認識し表現しているのか
ということを評価を根拠に観察できないと
「認知症のある方にとって」今起こっていることが
まったくわからなくなっちゃって
そうすると、どうしたらよいかもわからなくなる。
「自分たちにとって」のBPSDという見方しか
できなくなって、どつぼにはまっちゃう。

「その人のペースで」
「その人に寄り添って」
という言葉はキレイな言葉だけど
私はあんまりこういう言葉は使わない。使えない。
抽象的な表面的なキレイな言葉を使うことで
具体的に感受し思考することを停止してしまうのは
正反対のことだと考えているから。

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