Category: よっしーずボイス(ブログ)

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視点を変えて
あの番組を見てみると
老境を迎えた人間の在りようとも見える。

小笠原先生は
ずっと変わらずに自分を貫き通した。

大谷先生は
現役時代にはできなかった自分を悔いつつも
贖罪の気持ちも込めて「らい予防法廃止」に向けて奔走した。

もう1人は
文化勲章まで受けた。
その時にどんな思いを抱いていたのだろう。

かつての患者さんのご家族が
「死ぬ前にこういうこともあったって
誰かに聞いてもらってスッキリして死にたい」
って語っておられて
苦難の多かったろう人生を思わされた。

文化勲章を受けた人は
死の床にあって何を思ったのだろう。
それすらも抑圧したのだろうか?
その抑圧が贖罪の現れだったのだろうか?
それとも…?

私はもう既に立派なオバさんですが
年をとるって大変なことなんだと思いました。
こんな風にして、過去の自分の在りようと対峙させられるんだ
って、そんなことを感じました。

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前の記事に関連して

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小笠原先生は本当に凄い方だと思いますが
身近にいて小笠原先生の実践を支えてこられた方たちの
凄さを同時に思います。

身の回りのお世話はもちろん
関連して必要になるさまざまな暮らしと
治療に関わるものの調達を続けてこられた方たち

小笠原先生とは別の形での迫害をうけたり
時には防波堤の役割だって担ってこられただろう方たち

ハンセン病に罹患した方たちやご家族の受けた迫害や
理不尽なことがらには、想像を絶するものがありますが
一方で
それを間近で見ているからこそ
自らが背負わなくてはならなかった苦難を言葉にすることなく
実践を続けたであろう方たち

歴史の表舞台に出ることはないだろう
その方たちの実践を本当に尊く思います。

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ETV特集:小笠原登を見た

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6月11日(土)に再放送で見ました。
ETV特集「らいは不治にあらず〜ハンセン病 隔離に抗った医師の記録」
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2016-04-23/31/18163/2259533/

ハンセン病対策の歴史について
きちんと自分で認識したのは
「らい予防法」が廃止された時に
朝日新聞に掲載された大谷藤朗先生の記事を読んだ時だと思います。

その記事には衝撃的なことが書かれていました。
当時まだ100年も経っていない(大昔のことではない時期に)
学会という場で論理的な話をヤジや怒号で制止・中断・退場されるような
非民主的なやり方が行われていたこと
そして亡き師がどんな思いで今を見つめておられるだろうかという言葉で
しめくくられていたこと

それから本を読み、もう少し詳しく知ることができました。
「やがて私の時代が来るー小笠原登伝」皓星社

大谷藤朗先生は、実はリハスタッフにとって大恩人に当たる方です。
私はその一端を教えていただけたに過ぎませんが
リハの黎明期に養成校や宿舎を見学され
その状態を改善するようにしてくださったり
養成校の教員が留学して学べる環境を整備して
日本のリハ教育が進歩していくようにバックアップしてくださったとのこと

今回の放送でも
大谷先生が登場され、過去の自分を振り返りつつ
らい予防法廃止に向けて活動を続けてこられたとのことが
取り上げられていました。

らい予防法と対応の変遷について
全然自分とは関係ない、過去のことと切り捨てるのではなくて
かつてこの日本で起こったことは
カタチを変えて今自分の周囲でも起こりえることだということ
自分がもしかしたら「良かれと思って」
「らい予防法」推進派が為したことと同じことを違うカタチで
してしまうかもしれないこととして受けとめて
じゃあどうしたら少なくとも
そうならないように
万一そうなったとしても
そうなっているという認識をもてるようになるのか
考えることは大切だと思っています。

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急激な症状の悪化は身体の不調を疑う

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80歳代、90歳代の方の
急激なBPSDの増悪は
まず、身体の不調を疑います。

脱水、貧血、電解質異常、肺炎、心不全、慢性硬膜下血腫…などなど
身体の不調って案外とても多いけれど
認知症がベースにあるとこれまた見逃されがちだったりします。

その場の会話ができる方でも
記憶の連続性が低下していて
独居だったり、高齢世帯だったりすると
実は身体的な不調なんだけど
BPSDのようなカタチで現れたりします。

服薬管理が適切に行えなくて
降圧剤を飲み過ぎていたり
薬の副作用によるせん妄だったり。
ほとんど水分をとっていなかったり
満足に食べていなかったり

でも、そのあたりって
なかなか援助する側には見えにくいことでもあります。

だからこそ
一層、もしかしたら…という視点を
忘れないようにすることも大切だと感じています。

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大声・暴言というカタチで表現されているコト

ちょっと待った

認知症のある方の
大声や暴言というカタチで表現されているコトに対して
多くの場合に
カタチを問題視して、
カタチを減らすために、
カタチへの対応の工夫を考える
という方向性で検討されがちです。

でも実は
大声や暴言というカタチでしか表現できないから
というケースが往々にしてあります。

不合理だけど能力でもある。

本当に私たちが考えるべきことは
大声や暴言をどう減らすか
ということではなくて
大声や暴言というカタチ以外のカタチで
表現してもらうには、どうしたらよいのか
つまり、何を表現したいと意図していたのか
確認・把握するということなんです。

だって、能力。なんですもの。

大声や暴言という
一見不合理に見えるけれど
能力の不合理な現れなんだから
大声や暴言を「減らす・改善する」という
「方向性」で考えることは
認知症のある方の能力を失わせるということになってしまう。
たとえ、結果としてであっても。
たとえ、意図していなくても。

こういうことをよくよく考えている人は
実は案外少ないものです。
「寄り添ったケアを」と言いながらも
180度違うことをやってしまっていたり。。。
自分がやっていることが何を意味しているのか
丁寧に考えて、丁寧に自らの実践を振り返る人は
残念なことに、本当に少ない。

私にできることは
日々の実践を通して自らを振り返り続けることと
可能な範囲で発信し続けること。

必ず
真っ正面から受けとめてくれる人の存在を信じて。

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記念すべき1001記事

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記念すべき?1001記事は
私の気持ちを書かせてください。

私は今
本当に作業療法士になって、良かったなぁと感じています。

それは
作業療法士は
障害と能力のプロフェッショナルであり
医学と暮らしの橋渡しができる職種であり
そして何よりも
能力と特性を活かすという
人間への賛美・応援に溢れているところが大好きです。

まだまだ未熟ではありますが
自分の中で方向性がはっきりと見えてきて
ある程度の実践が継続的に行えるようになってきたことも
大きいなぁ…と感じています。

でも
ここに至るまでは随分と苦しい思いもしました。

他の誰かが作業療法について言っていることを聞いても
納得できないことばかりでしたし (^^;
自分の実践にも満足できないことが多かったし
常に不全感に苛まされていました。

だけど
こんな私でも変われました。
随分と成長もしたと思います。
その分遠回りもしました。
私にとっては意味のある遠回りでしたが
これからの若い人たちには
しないで済む遠回りであるなら、しない方が良い
その分の心身のエネルギーと時間を
より建設的な方向へ発揮していっていただきたいと
思っています。

これからも引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

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祝☆1,000記事達成!

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ぱんぱかぱ〜ん☆

な、なんと、この「よっしーずボイス」
この記事をもちまして
1,000記事を達成いたしましたー!

うっわー、嬉しい (^^)

2011年10月9日に始まった「よっしーずボイス」

たくさんの方にお立ち寄りいただいたおかげです。
本当にどうもありがとうございます m(_ _)m

いつのまにか、そんなに続いていたんだ。。。
そう思うとちょっと感慨深い。

この4年半の間には
現実の世界でも、こちらでも、いろんなことがありました。
確実に言えるのは
私も4年半分は年とったな。ということで (^^;
でも、おかげさまで
ムダには年くってないぞ。くらいの気概はあります (^^;

いつまで続くか
どうなるか
先のことはわかりませんが
これからも可能な限りは
「花も実もある毒もある よっしーずボイス」
書き続けていきますので
引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます m(_ _)m

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認知症は脳の病気→障害を把握

我慢のしどころ

巷に溢れている認知症のある方への対応の誤解は
根本的には、
「認知症という状態は脳のさまざまな病気によって引き起こされる」
ということがわかっていないことに由来するのだと思う。

もっと正確に言うと
抽象的なレベルでは、わかったつもりになってるけど
いざ、日々の具体的現実的な困難に直面すると
抽象的な理解がすっとんでしまって
かつてどこかで聞いたことのある方法論
たとえば、不安や不快の原因探索とか
好きなコト・モノを探すとか
楽しく、笑ってもらうとか
一気に表面だけをみて、
表面改善の対応を考える人が
圧倒的に多くなってしまうのです。

いわく
どうしたら、食べてくれるようになるか
好きな食べ物を出してみよう

これらは
障害と能力の把握
つまり、今、何が目の前の方に起きているのか
この人は、この状況をどう認識して、どう表現しているのか
をすっとばしてしまっている。
表面的にみて表面的に対応を考えてるだけ。

脳血管障害後遺症としての片麻痺のある方に
何の評価もせずに
いきなり、どうしたら歩けるようになるか
いきなり、どうしたら元の職場に復帰できるか
なんて考える人はいない。

仮に、それをやったら
効果がないどころか、逆効果になることだって起こりえる。

それとまったく同じコトを
違うカタチで実践している。
しかも、良かれと思って実践してしまっている。

さまざまな疾患を抱える方へのリハが進歩してきたように
認知症のある方へのリハやケアも進歩していくはず。
5年後、10年後の進歩を心から期待しています。
そして、どんなに小さくても
その一助にこのサイトがなれるようにガンバリマス。

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