Category: よっしーずボイス(ブログ)

岐阜県士会分野別研修会に行ってきました

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平成27年5月24日(日)に
岐阜県の大垣市情報工房で開催された
岐阜県士会学術部平成27年度第1回分野別研修会老年期の講師として
「認知症のある方への対応の工夫ー評価の重要性」
というテーマでお話をしてきました。

若い人たちを中心にみなさん熱心にお話を聞いてくださり
講師冥利に尽きます。
朝早くから参加してくださったみなさま、おつかれさまでした。

また窓口になってくださったTさん
学術部部長のSさん
お世話になりました。
どうもありがとうございました。

最初は雨予報だったのですが
実際には雨の心配のいらないお天気となり
本当に良かったですね。

これからの岐阜士会のますますのご発展をお祈りしています。

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一見悪そうに見える良いこと

我慢のしどころ

観る「眼」がないと
一見悪そうに見えて、その実良いことを観てとることができない。
一見悪そうに見えてるだけのことを「悪い」こととしか見られない。

一見悪そうに見えることを「悪い」から修正・改善しようとすれば
隠れていて表面に現れていない「能力」をも
結果として、つぶしてしまうことになってしまう。

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一見良さそうに見える悪いこと

我慢のしどころ

一見良さそうに見える悪いことも
一見悪そうに見える良いこともある。

でも
いったい「何に」照らして良いのか悪いのか。

良し悪しは
自分の価値判断ではなくて
その人の目標に照らして判断されることだと思う。

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「合わせてる」のに気がつけない

ちょっと待った

認知症のある方に
「問題がない」んじゃなくて
よくわかってないけど
合わせてくれてる
(よくわかんないけど、そうしようか)
と従ってくれてる
だけのことって結構ある。

認知症のある方に
合わせられるという能力があるからこそ
できることでもあって
病状が進行して
「よくわからない」
「合わせる、従う」ことができなくなった時に
その本音を表明せざるを得なくなった時に
初めて「問題」が表面化する
そういうことは、とてもよくある。

食事介助の場面で起きてることと
同じことが違うカタチで現れてる。

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PDCAサイクルを回す

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どんなコトでも
100%のエビデンスをもつものなんてない。

だからこそ
今目の前にいる方に対して
自分が提供していることが
本当に適切なのかどうか確認する必要がある。

相手は機械じゃないから
こうすればああなる
そんなわけないから。

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驚いたー!

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たくさんの方にご訪問いただき、どうもありがとうございます。

な、な、なんと!
4月の当コンテンツのアクセス数ですが
12597件 だったそうです。
「平成27年4月の実績報告:ウェブ管的知恵袋」

そういえば、先月に
過去のバリデーション紹介記事が
「人気記事」に軒並みランクインしてたことがありました。
「?」と思っていたら
バリデーションがTVで紹介されたらしいのでその影響かと。
(5月にアクセス数がガクンと落ち込むかも)

たくさんの方にお立ち寄りいただけるのは
本当に嬉しく思いますし、書き続けることの励みにもなります。

でも一番嬉しいのは
かつての私のように、もがきまくっている人の力になれること。
その人が一歩前に踏み出せる、その一助となれること。

そうなったら
過去の自分の奮闘がムダではなく
みんな、今につながっていることになるから
それは私にとって本当に嬉しいことなのです。

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変化は待てる

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適切に評価ができれば
適切に目標を設定できる。

「こうなったらいいなぁ」って具体的にイメージできる。

だから、変化を待つことができる。

行動変容の途上で
努力していることが伝わってくる。

眼に見える変化が現れるまでの
双方にとって一番辛い時期を
じっとこらえて待つことができる。

認知症のある方の能力を見いだせれば。
それは、盲信ではなくて
評価の結果としての確信だから。

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たとえばの誤解 4

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人間関係において「原因」なんてないと考えています。
そうする、そうなる「必然」はあるし
モノゴトが表面化するに至る「きっかけ」はあったとしても。

これって、まさしく ICF に依って立つ考え方だと思う。
だけど、多くの場合に多くの人は未だ ICIDH に拘泥してる。

認知症のある方の生活障害やBPSDには
不安などの何らかの原因があるから起こるので
原因を探索し改善しましょう。。。とはよく聞く言葉ですが
これって、まさしくICIDHの考え方です。

生活障害やBPSDが起こっている「場」において
何が起こっているのか見いだすことの方が
よっぽど重要で必要で効果的です。

そのためには知識が必要
知識がなければ「見れども観えず」なんです。

同じ場面でも
見る人によって観えることと観えないことが違ってくる。
そして、そのことに
観える人は気がつけても
観えない人には違うということすら、わからない。

つまり
認知症のある方だけの「問題」ではなくて
私たちの「課題」でもあるのです。

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