認知症のある方にActivityを提供しようとすると
いくつもの難関が待ち構えています。
それらの難関を乗り越えて
どうしたら適切なActivityを的確に提供できるのか
希望を尋ねても
希望を言えなかったり
述べた希望が認知症のために遂行困難だったり
かつての趣味活動を認知症のために行えなくなっている
ということは、よくあることです。
つまり
尋ねた希望をそのままActivityに導入することは難しい
というケースが多々あります。
認知症のある方に
希望を尋ねる意義は
その方にとって大切にしていることや
その方の特性を確認することができる
ということであって
希望を実現するだけが意義あることではない
実現するために希望を尋ねるのではないと考えています。
ここには
「褒めてあげることが大事」「なじみの関係」と言った
流布している定着している考えが吟味検討不十分なまま
導入されやすいという現状、概念の混同による誤認があると考えています。
具体的には「常識の罠」に書きましたのでご参照ください。
希望を尋ねたら
身寄りのない一人暮らしの認知症のある方が
「遠方の実家にあるお墓参りに行きたい」
と答えた時にどうするのか?
という問いを提起しました。
現実的に病院・施設に勤務する作業療法士が
関与できることではありません。
ただし、そのように答えた
というところにその方の意義があります。
そこをもう一段さらに尋ね返すことはできます。
なぜ今お墓参りに行きたいのか
過去のお墓参りをどのようにしてきたのか
実家を離れて暮らしてきたことをどのように感じているのか
「お墓参りに行きたい」という言語化された希望の裏にある
背景・経過・状況を語れる範囲で語っていただくことで
その方の理解が深まります。
場合によっては
語ったことを通して
( 聴き手が聴き上手な場合に限定されますが )
「お墓参りに行きたい」という希望が叶えられなくても
納得されることもあります。
何を大切にしているのか
ものごとにどのように対処する人なのか
そこをActivity選択の検討材料にすることができます。
希望を尋ねて
実現援助可能であれば希望に沿ったActivity検討をするのもいいでしょう。
仮に実現援助不可能であったとしても希望を尋ねる意義はあります。
尋ねた希望を対応に活用する。
実現するために希望を尋ねると考えた尋ね方をするのではなくて
「あなたがあなたであることの再体験を援助するために
希望を教えてください」
という考え方の方がスッキリすると思います。
たとえ、重度の認知症があっても、答えられなかったとしても
必ず希望を尋ねることの意義を
作業療法士自身が自覚し明確にすることができます。
そして、尋ねた希望の答えを治療・対応に活用することができます。
それでは具体的に。
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・ その方の特性を把握する :Act.の傾向を決める ・
・ ↓ ・
・ 今の能力でできることを探す :Act.の種目を決める ・
・ ↓ ・
・ 今の障害から必要な配慮を明確にする:Act.の場面設定を工夫する ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Activityには傾向があります。
仕事的な要素が強い、表現系、他者との協働という要素etc.
ご本人の特性もあります。
お一人で没頭したい方、他者との交流を好む方、交流のパターンetc.
ここを外さないことが肝要です。
ここを外さなければ修正を繰り返してより的確に
という試行錯誤が成立します。
希望を尋ねることの意義は
Activityの傾向を決定する段階に反映されます。
次に今できること
あまり人の手を借りずに
作業療法士の援助なしでもできることを模索します。
援助が必要なAct.を提供する場合には
援助が必要な意義を(できないから手伝うレベルの話ではなくて)
作業療法士自身が自覚・明確化している必要があります。
例えば、補助自我的に関与することの明確化・象徴としての援助等
その過程で
必然的に障害を考慮して場面設定に配慮することになります。
詳細は
「Activity選択の考え方」をご参照ください。
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