Tag: トレーニング

生活障害を端的に言語化

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タイトルを考える機会があると
言語化ひいては概念の明確化の良いトレーニングになると思う。

たとえば
私だったら、このブログのタイトルとか。

ケース紹介する時の
「〇〇と△△による生活障害を来しているAさん」とか。

学生さんだったら
レジュメのタイトルとか。

認知症のある方の暮らしの困難はさまざまだけれど
その方の生活障害を端的に言語化するような
トレーニングをしておくと良いと思う。

端的な表現を考える過程を通して
「評価の確認」と「まとめ」の
自己フィードバックの機会になると思う。

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記憶のトレーニングが逆効果

記憶のトレーニングが逆効果認知症というのは、一言で言うなら「覚えられない」という状態像でもあります。
ですが、よく遭遇するのが、認知症によって著明に短期記憶が低下している状態の方に、記憶のトレーニングをさせたりするというケースです。
そんなことされたら、苦しいだけです。イヤになっちゃいます。情緒不安定になってしまいます。

介護保険の認知症短期集中加算の対象の幅がとても広いことが、加算の目的からの逸脱や実施方法の混乱を招いている一因になっているようにも感じています。加算を「上手に」活用できればよいのですが、表面的に実施しようとして対象者の方に苦痛や困難を強いたり、実施する職員が混乱してしまうようでは本末転倒なのにな…と思ってしまいます。

HDS-Rで20/30点と言えば、日常生活の場では既に「同じことを繰り返し話す、聞く」という状態像にあることが多いように感じています。場合によっては「同じことを同じ表現で繰り返し話す」方も決して少なくありません。(てにおは、まで同じだったりします)
その他にも日常生活で薬の管理ができないとか、伝言ができない…等といった困った事柄が複数生じているような状態だと推測されます。

既に、日々の暮らしの中で「できなくなった」「覚えられなくなった」という喪失体験を重ねているのです。
そのような状態像の方に、トレーニングと称して困難なことを実施するのは、喪失体験の反復、強調体験になりかねません。

一概に言い切ることはできないにしても、基本的には、そのような状態の方には、記憶のトレーニングではなくて、生活能力を保っていくための工夫や能力発揮していくための工夫が必要だと考えています。

記憶のトレーニングが必要なのは、もっと軽度の方です。
トレーニングに耐えられるような脳のはたらきが保たれている方です。
実際にはそのような方が見落とされていて、トレーニングに対応できる状態の時にトレーニングが為されず、日常生活にはっきりと「問題」が表面化して、トレーニングに対応困難な時期になってからトレーニングが検討される…というように、対応が後手にまわっているような印象を強く抱いています。

良かれと思って、善意からの対応であったとしても、結果的に対象者の方に不利益を招くことのないように、提供する課題には慎重であってほしいな…と感じています。
少なくとも、PDCAサイクルをまわす意識を持っていれば防げることがたくさんあるように感じています。

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素朴な疑問「トレーニング体験談」

私はバリデーションワーカーの資格をもっています。

実技メインの卒業試験がありました。

合格のレベルに達していれば合格できる。
落とすための試験ではなくて
資格をもって仕事をするに足る
かどうかの判断をするだけだから
再挑戦ができる。

バリデーションワーカーの養成過程において

すばらしさを唱えられた記憶はない。

でも、私はバリデーションは有用だと感じ

絶対、バリデーションワーカーの資格をとって

実践がおこなえるようになりたいと強く願った。

講師は質問があれば、どんなことにも答えてくれた。

提出課題に対するコメントも枝葉末節のことではなかった。

 

私にとっては

バリデーションそのものを学ぶことができたのはもちろん

トレーニングという体験学習ができた意義も

とても大きかったと感じています。

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