Tag: コミュニケーション

伝聞表現を使う その2

実は私も伝聞表現を時々使っています。

「家にはちゃんと帰るんだけど、今日じゃないんですって。
今日はここに泊まっていくんですって」

帰りたいという方に対してそんな風に言うこともあります。
よくよく考えると本来はそういう言い方しかできないですし。

でも往々にして
認知症のある方が帰りたいと言うと
なんとか気をそらしてそんな言葉を言わないように(忘れてもらえるように)
あの手この手を繰り出したり
「ここに泊まるの」と、入院だったら医師しか判断できないはずのことを
他の職種なのに言ってしまったり
そういうことってよくあると思います。

「ここに泊まるの」という言い方をした人が
ここにいることを決定したように認知症のある方が感じるのは
当たり前のことだと思う。
『そんなこと言わないで帰してください』
と認知症のある方が言うのは正当だと思う。
だってあなたが決定したんでしょ?と内心思うもの。

けれど多くの場合に
職員はお茶を濁すような言い方をしているのではないでしょうか?
あるいは説明したのに理解してもらえない。と判断したりとか?

そう言う職員に悪気はないけれど
認知症のある方にしたら
ここにいることを決めたこの人にお願いしてもダメなんだ
という風にしか受けとめてもらえないと思う。

でも、最初から伝聞表現を使っていれば
私が決定したことではないのだということを言外に伝えることができます。

誤解が多いのは
確かに認知症のある方の言葉を聞いて理解するはたらきが低下することはよくあるけれど
(そしてそのことをこちらでも繰返し書いていますが)
言葉のニュアンスや意図や意味をすべて理解できなくなるわけではありません。

認知症という状態像を引き起こす疾患によりけり
障害によりけり
元々の言葉の扱い方に関する特性によりけり
なんです。

伝聞表現を意図的に用いることによって
認知症のある方の会話し続けようとする意思をくじかずに
お話を聴くことが可能となってきます。

言葉に鋭敏になる
意図的に自覚的に扱えるようになる
それらのことをたくさんの方から教えていただきました。

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伝聞表現を使う

MCI〜軽度の認知症のある方に対して
ご家族の方へのアドバイスとして
「伝聞表現を使う」ことをご提案する場合もあります。

実は認知症のある方ご本人は
自分の物忘れを自覚している
でもしっかりしなければ。と自分で自分に言い聞かせている。
ご家族だからこそ、弱音を吐いて心配をかけたくない。
そういう方はとても多いのです。

そんな人に受診する。
薬を飲む。
水分を摂る。

そんな時にご家族の方は一生懸命だからこそ
「病院に行くのよ」
「薬を飲むのよ」
「水分をしっかり摂って」
と直接的な表現をしがちですが
そうすると認知症のある方は
ご家族が味方じゃないように感じがちです。

「うるさいわね!」と言いたくなる気持ちもわからなくないような。。。

「病院に早めに行くといいんだって」
「薬を飲むと身体がラクになるんだって」
「水分を摂るとぼーっとしなくなるんだって」
と伝聞表現を使うと
私はあなたの味方だ。。。ということを言外のニュアンスを伝えることができます。

入院に付き添ってこられたご家族が帰る時に嫌がられたらどうしよう
だからといって黙って帰るのも悪いし
と迷っているような時には
「今日はここに泊まるんですって」と言ってみてください。
とお伝えすることもよくあります。

ご家族の方は私たち職員に気を遣って
「今日はここに泊まるの」と説明しがちですが
そうすると認知症のある方には
ご家族が積極的に入院をすすめたのかと受けとめられる可能性があります。

そうではなくて
伝聞表現を使うと
ご家族は味方なんだけど
入院した方がいいと病院の人たちが言っている
というニュアンスを込められるというメリットがあります。

まったく知らない環境で知らない人たちと過ごすのですから
心配になって当たり前。
ご家族の方は味方なんだということが伝わるといいなと思います。

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3月OT Lab 準備中

「文章、読みましたよ。今度叫ぶんですね。」

ある人にそう声をかけられ赤面の至り。。。(^^;;;

ええ、そうです。
3月12日(日)に作業療法総合研究所さんの主催の研修会で
「神奈川の地から作業を叫ぶ−愛と毒を込めて”作業”を問う−」
というタイトルでお話をします。

詳細はこちらから

開催まで1ヶ月以上ありますが、準備を少しずつ始めています。

飲み会程度のお話で終わるわけにはいきませんし
どういう構成で
どういう表現で
う〜ん、難しいです。。。(^^;
手を挙げたはいいけれど、こういうテーマを系統立てて話すのは難しい。
でも、誰かがきちんと言っておかないと。という思いもあります。

だって、今、大混乱してるでしょう?

物事をじっくりきちんと考える人は
何かおかしい、どこかおかしい。と感じながらも
そのおかしさを言語化できず、
あちらこちらからの旗ふりに押しつぶされそうになっているのを
必死な思いで、こらえているのではないでしょうか。

私は
「作業療法は素晴らしい」と叫ぶつもりはありません。
作業療法の素晴らしさを伝えるために
体験談を紹介するつもりも、毛頭ありません。

もっと具体的な話をしようと思っています。
だって、世の中に〇〇療法と名のつくものは全てツールに過ぎないから。

ツールはツールとして役立てるために存在します。
ツールに使われているようでは目的を果たせません。
ツールをツールとして使いこなせるようにならなければ。
作業をツールとして使いこなせるのがプロとしての作業療法士なんだと考えています。

作業療法士の目的は何か?

対象者の方のRe-Habilisの援助です。
「やりたいことができて嬉しい」のは、Re-Habilisの下位項目に過ぎません。

そして、もうひとつ
ここで、手段と目的の混同が起こっていませんか?

じゃあ、どう考えたらいいのでしょうか。
その提案をしたいと思います。

ある人は私の話を聴いてくださった後に
「目新しいことはなかった。基本的な当たり前のことだ。」
と感想を寄越してくださいました。

そうです。
その通りなんです。
私の実践は本当に泥臭くて基本にのっとって当たり前のことを当たり前にしてるだけです。

「作業療法ジャーナル 」Vol.51No.2には
身体合併症のある認知症の方への対応の考え方について記載したものが掲載されました。
もしよかったらご参照ください。

当たり前の実践によって
多くの重度の認知症のある方に行動変容が起こるということをお伝えしています。

その事実は何を意味しているのでしょうか?

私は旗を振りたいタイプの人間ではないんです。
旗を振るよりも目の前にいる方に
現実に具体的に
役立つことができるようになりたいと痛切に願い続けています。

体験談として紹介する許可をご家族にいただく時に
「えぇ。えぇ。いいですよ。困っている方の役に立つなら。」
そうおっしゃっていただける言葉の重み

その重みを思いながら準備を少しずつしています。

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ミニ研修会「食事介助」ご案内

平成29年3月4日(土)10:00〜12:00
曽我病院内にて「食事介助」のミニ研修会を開催します。

「認知症家族教室」というタイトルになっていますが
どなたでも参加できます。
関係職種の方は事前にご連絡をお願いしておりますが
どの職種の方でも無料でご参加いただけます。

当日は相談員さんからのミニレクチャーに続いて
「奥が深いのに知られていない食事介助のホント」についてお話します。
デモもありますし、実際に食事の介助−被介助体験も考えています。

何かご不明なことがありましたら
ご遠慮なくお問い合わせください。
病院の電話番号でも結構ですし
『 yoshiemon.atあっとgmail.com 』(あっとは変換してください)
メールでも結構です (^^)

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嬉しい。。。

もしも
私の話を聴いて
「私も頑張ろう!」
「明日からもう一度やってみよう!」
って感じてもらえたとしたら
こんなに嬉しいことはないです。

私の講演のゴール設定は
「受講者が希望を胸に抱いて職場に向かえるようになる」
なのです。

かつて
もがきまくっていた時の私が一番欲しかったものは何なのだろう?

そう考えた時に
誰かに頭をなでてもらいたいわけでもないし
誰かと慰め合いたいわけでもないし
安直なその場しのぎや解答もどきを欲しかったわけでもない
自分の足でまっすぐ歩いていけるように
そのための道しるべ、信頼できる道しるべ
この道なら途中険しくても細くても遠くても歩いていきたい
歩き続けられるという実感がある道しるべがほしかったんだと思ったんです。

今の私にそこまでのお話ができているかどうかは、わかりませんが。。。

でも
どんな疾患によるどんな状況の認知症のある方にも
適用できる、除外要件のない、包含できる、考え方
とてもシンプルでベーシックな考え方だと自負しています (^^;
(自負するのは自由だもんね)

もしも私のお話が
誰かの道しるべになれるのなら
もしもそんなことが叶うのならば
それは私にとって本当に本当に嬉しいことです。

かつてのもがきまくっていた私にとっても
報われるような本当に本当に嬉しいことなのです。

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掲載「OTジャーナルVol.51No.2」

本日、三輪書店さんから発刊された「作業療法ジャーナル」の第51巻2月号
特集「認知症−身体障害合併症を中心に」の中で
「「認知症のある方への対応−能力と障害の把握」」が掲載されました。

認知症のある方は単に能力が低下した結果として
不合理な言動をするわけではない。ということ。

低下した能力もあるが、残っている能力もあって何とか対応しようとした結果として
不合理な言動というカタチで現れているのだから
表面的なカタチに対して表面的に対応を考えても有効な方法とはなりにくい。

どのような障害とどのような能力が不合理な言動というカタチに投影されているのかを観て
能力をより合理的なカタチで発揮できるように援助することが大切。という論旨です。

読んでいただければ嬉しく思います。

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昔の宮崎アニメの魅力

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アニメーションとは
ラテン語で霊魂を意味するanimaアニマに由来した言葉で
生命のない動かないものに命を与えて動かす
ということを意味するのだそうです。

私が好きな宮崎駿のアニメは
「未来少年コナン」「風の谷のナウシカ」「カリオストロの城」「天空の城ラビュタ」「もののけ姫」
です。

動きの表現が凄いんですもの。

二次元の表現なのに
奥行き、上下する感覚、スピード感
リズムとテンポがあるから思わず画面に引き込まれてしまう。

動きの表現が
人物の感情や周囲の状況を表現することにもなり
表現と演出が渾然となって物語が進行していく

先週、久しぶりにテレビで「風の谷のナウシカ」を観て
改めてアニメーションの素晴らしさを堪能しました。

アニメーションは単に「絵」じゃないんだということを再確認。
だから、ナウシカの絵はお世辞にも上手いとは言えない。
背景も登場人物も最近の絵と比べたら荒いこと雑なこと (^^;
だけど、そんなことあっという間に気にならなくなっちゃう。

本当に生き生きと動いてる。

絵が動いてるだけなのに
感情がものすごく喚起される。

観てる私の身体感覚にものすごく訴えかけてくるものがある。

アニメーションは表面的な技術だけじゃなくて
実体験がないと技術を活かせないんじゃないかな。
自身の体験と感覚と感情を自分の中に明確に自覚しながら培っていって
その積み重ねで初めて技術を活用できるんじゃないだろうか。
じゃないと大掛かりなハリウッド映画のようなものになってしまって
量的な刺激の大きさ、多さ、あるいはきめ細かさ、綺麗さ
といったものに追従するしかなくなってしまうんじゃないかな。

ナウシカは
環境保護、自然を大切に、自然讃歌
とか、そんなメッセージ映画みたいに捉えられていたこともあったそうですが
痛切な映画だと感じました。ものすごいアイロニーが込められてる。
まぁ、そこに共感する私も私ですが (^^;

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能力に胸がいっぱいになる

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認知症のある方の能力に胸がいっぱいになる

そういうことって
本当によくあります。

食事介助の最初と最後で食べ方が大きく変わった方がいます。
舌で食塊を押し出してしまい食べこぼしが多かったのに
文字通り押し出さずに食べられるようになって食べこぼしもゼロに
それだけではなくて
意思表示としてうなづいているということが明確にわかるようにうなづけるようになりました。

私がしたことは
姿勢を少し変えて
スプーンを小さくして
スプーン操作を少し変えて
それだけ。

あとは、その方がもっていた能力なんです。

埋もれていて表面には出ない
でもちゃんともっていたその方の能力

こんなにわかっていて
こんなに能力があって
だとすると
今までどれだけ頑張って食べていたか。。。

そうなんです。
その方にイマ、ナニが起こっているのか
ということが明確に把握できるようになると
その方がどれだけ頑張っていらっしゃるのかがものすごく伝わってきます。

認知症のある方の能力に胸がいっぱいになります。

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