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言葉に惑わされない

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私たちはどうしても言葉の能力に重きを置きがちです。

会話が巧みにできると
その他の記憶や遂行機能も得てして実情よりも高く見積もりがちです。

その反対に
会話が困難だと記憶や遂行機能や判断力も
低下しているように思い込みがちです。

アルツハイマー型認知症のある方はもちろんですが
若年性認知症のある方や
前頭側頭型認知症のある方は
能力と障害のバラツキがもっと顕著です。

言葉は言葉として尊重しながらも
もう1つの行動という言葉にも
耳を傾ける必要があることを感じています。

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わからないことはわからないまま

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たぶん、OTの他の分野でも同じなのではないかと思うのですが
こと、認知症のある方に限定していえば
わからないことはわからないまま
観察を続けていく方が建設的だと考えています。

わからない時に
あれも考えられる、これも考えられる、もっと他に考えられることは…
とは考えない。
それをやったって
袋小路に追い込まれるだけだと思うし
OTの考えつける範囲の中での選択肢の中からの
原因探しをやってるだけになっちゃってて
目の前の方を本当に見ていることになってないもの。

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中核症状をみるーはじめに

中核症状をみる「認知症は難しい」という言葉をよく聞きます。
確かに難しいけれど、認知症だから特別に難しい…とはあんまり感じたことがありません。
むしろ特性なんかはかえってわかりやすいようにも感じています。
そこで、認知症のどこが難しく感じられるのか、考えてみました。

もしかしたら…と思ったのは、他の障害たとえば片麻痺の場合には評価(すべき?)「項目」を教えられています。関節可動域、麻痺の状態、感覚…etc。etc。
そしてそれらは標準化された方法があり、それに則って検査することが求められています。
つまり、何をやるのかがはっきりしている。
(もちろん、検査=評価ではありませんが)

ところが、認知症は…もしかして評価(すべき?)「項目」を列挙できないから、何をどうしたらいいのかがわからない…のではないかと考えました。
だから、認知症のある方の状態像が把握できないのかも。
だから、表面的なハウツーを結局望んでしまうのかも。
だから、看護介護職員はBPSDで困っているのに「ROM、筋力強化、座位訓練」といったパターン化したリハが提供されることになってしまうのかも。

そこで、最初の最初。
評価実習の学生さんがアルツハイマー型認知症のある方を担当したと想定していくつかの記事を書いてみようと思います。
そうすれば、学生さんにも就職したばかりの若手作業療法士にも認知症のある方を久しぶりに担当した中堅・ベテランの作業療法士にも、もしかしたら…臨床での指導という側面で教員の方にも何かお役に立つことがあるかもしれない…などと思いつつ (^^;

まずは、中核症状を評価するように促します。
学生さんでよくあるパターンが、学生が気になったことを意味や優先順位も考えずにどんどんと掘り下げていこうとしてしまうことです。評価しなくちゃ、考えなくちゃ…と気持ちばかり焦っていると陥りやすいところです。
そうではなくて、まずは中核症状を評価することの意味を説明します。
生活障害は中核症状に起因して起こること、そして生活障害を改善するためには症状の裏返しとしての能力を把握してはじめて対応の工夫を考えることができるのだということを伝えます。
(この段階では学生さんは聞いていてもおそらく本当には意味がわかっていません。でもそれでも今はよいのです。伝えておくことに意味があります。)
能力を把握するための前段階として障害の有無とその程度を把握するのだということを伝えます。
中核症状とは…記憶障害、見当識障害、言語機能障害、高次脳機能障害、実行機能障害など。です。
まず、これらの言葉とその概念を確認します。
私は学生さんに概念を尋ねて答えてもらうようにしています。そうすると学生さんの理解の程度を把握しやすくなるからです。
概念が答えられれば次に進みます。答えられなければ復習することを促します。

蛇足ですが…私は中核症状と能力のスクリーニングは最低限、最初にしておく必要性があると考えています。
たとえ、トップダウンのアプローチや対象者のやりたい作業を決めることから始めたとしても、対象者の現状のおおまかな把握ができずに適切なアプローチを選択することは困難だと考えます。
詳細な評価は必要に応じて後から追加で実施しても間に合うと思いますが、スクリーニングだけは不可欠と考えています。

次回から、中核症状のそれぞれの説明と臨床での体験談をからめてご説明していきます。

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力技は今かぎり

我慢のしどころ

時には力技で対応することだってあると思う。
でも、力技で対応できたからって
ずっとそればっかりやってると
後になってお手上げになる。

食べさせれば食べる
立ち上がらせれば立ち上がる
リハビリさせればする

確かにその時は
力技に従ってくれるだけの能力があったかもだけど
認知症状が進行して
力技に従ってくれるだけの能力がなくなった時に
本当はさせてたんじゃなくて
相手に頼りきっていた分
こちらには打つ手がなかったりする。

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「リハビリっぽいことをしなくちゃ」?

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って思う時もあるのかな?
でも、他職種の眼を気にして
リハビリっぽいことをしよう、させようとしても
肝心の対象者の方が苦痛や不安や困惑を感じるようなら
元も子もない。

他職種の眼なんて気にしないで
対象者が良くなることを考えればいいんだと思う。
(ただ「良くなる」ということの吟味は必要だけど)
他職種だってプロだから
対象者が良くなればちゃんと認めてくれる。
というか認めざるを得ない。
現実に良くなっているんだから。

こういうことに関して
作業療法士自身がいろいろと誤解してることがあるんじゃなかろうか。
そう思う時がよくあります。
そのことに関しては、いずれまた。

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「できない」?

ちょっと待った

たとえば
CVA後遺症で重度の片麻痺のある方に
麻痺側の手で鉛筆をもって名前を書け
…なんて言わないと思う。

でも
認知症の中核症状が重度の方に
リハビリだから立ち上がり10回しろ
…って言ってる人って少なくない。
しかも
日常生活場面では配慮・工夫された声かけで
動作的介助なく立ち上がれている方に対して。

そりゃ、できないよぉ (^^;

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悪いことはしないように

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良いことをしようとするのではなくて
悪いことはしないようにするのって
案外大切なことだと感じています。

対人援助職としては
良いことをしようとして
えてして結果的に悪いことをしていても
気がつかない…ということは案外多いもの。

良いことをしようとする時には
案外、相手の状況を観ていなかったりする。
けれど、悪いことはしないようにする時には
相手の状況を観ざるを得ない。

観察をする…ということを
余儀なくされるから。

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視点の違い

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認知症のある方の
不適切な食べ方をどのような立場で見ているのか
人は案外自覚できないものです。

能力低下しているからと考える人は
1回量を減らしたり
食形態を落とすことに抵抗を感じるようです。
もっと食べられなくなるのではないか。。。と

現実は違うということを知っていただきたい

能力があるからこそ
介助を含めた不適切な食環境に
適応した結果、不適切な食べ方を習得する

能力があるからこそ起こることなのです。

視点が180度違っているのです。
そして、この視点の違いによる関わり方の違いは
食事介助だけに限って起こっていることでしょうか?

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