Tag: 対応

箸を箸として扱える

箸を箸として扱える「あーなるほど!」と思ったことがあります。

Hさんの食事のしかたをみて
看護師さんが「箸が使えるね」と言いました。
でも、私はその時「箸が使えていない」と思っていたのです。

どういうことかというと
看護師は
Hさんが箸を使って食べこぼしなく介助もなく自分で食事していたから
「Hさんは箸を使える」と思ったのです。
私は
Hさんが握り箸で箸をスプーンのようにして食べていたので
「Hさんは箸を持って食べられるけれど箸を箸として扱えない」
と判断したのです。

こういうことって、ものすっごくたくさんあります。

視点の違いで同じ現実を見ているのに違う事実と認識する

でも、そのことに自覚のある人はそんなに多くいるわけではありません。
モノゴトの前提が違うのに
前提を抜きにして、結果だけをああだこうだ言ってる…(苦笑)

自分の視点とか前提って
自分にとっては、あまりにも自明のことだから自覚しにくいけれど
異なる前提を放置して
結果だけをすりあわせようとしても
うまくいくはずがない…(^^;

Hさんの例では
箸の使用可否について結果だけを議論しても平行線で終わってしまいます。
「箸は持ってこぼさず食べられるけれど握り箸で箸としての操作はできていない」
という起こったことそのままを共有すること
Hさんにとっての優先事項を確認しあって
それを根拠にして箸の扱いをどうするか
ということではないでしょうか。

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/174

約束したでしょう

銀杏リアルの世界でも、ネットの世界でも、よく遭遇する言葉です。

「そういうことはしないって約束したでしょう」
この言葉に遭遇するたびに、ヘーンなの!…って思っちゃいます。

だって、ケアやリハの場面で「約束」する時って
たいてい、通常の対応でどうにもならないから使われることが多いと思う。
つまり、どうしようもないから最後の印籠として登場する(^^;
だけど、どうしようもないものだから
結局、約束は破られ、対象者の方は二重に叱られる。

「待ってるって約束したでしょう」
「そういうことはしないって約束したでしょう」
「どうして約束したのに守らないの」

おいおい…(^^;
できもしないことをさせてるのはどっちなんだい?
しかも、対象者の尊厳を二重に損なってしまっているのに…

そもそも、約束って、自分で自分に誓うもの。
誰かにさせられるものじゃない。

「○○様」とか何とか言うより先に
対象者の方に対して約束なんかを持ち出さずにすむように
対応の工夫を私たちが考えるほうが先なんじゃないのかなー?
と思うのであります。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/114

対応を考える

ムクドリ認知症のある方への対応に苦慮した時ってどうしていますか?

多くの場合、「どうしたらいいのか」カンファなどの話し合いをすることになると思います。

でも、
どうする…という方法論が話し合われても
何が起こっていたのか…という「場」についての振り返りがなされることは、あんまり多くはありません。
ほとんどないかも…ですね(^^;

けれど、モノゴトは関係性の中で起こります。

どのような状況で
どのような言動に対して
どのようなことが起こったのか

私たちは、「観察」という名目で
認知症のある方のあれこれを言いますが
物理的にも心理的にも環境因子の1つである自分自身の言動に対して
案外無自覚でいることが多いように感じています。

たとえば、こんなケース。
  「車いすを押しますよ」と声をかけてから押したのに
   Gさんたらいきなり怒り出してまったく最近怒りっぽいんだから!
   Gさんの易怒性に対してどう対応したらいいかしら?

確かに声はかけたかもしれませんが
Gさんは認知症があります。
もしも、Gさんが「車いすを押される=自分が動く」という言葉を結びつけて予測することが能力的に困難な方だとしたら
その声かけは適切だったと言えるのでしょうか?
「問題」なのは、Gさんの易怒性ではなくて
Gさんの能力に合わせた声かけができなかった職員のほうが「問題」なのではないでしょうか?
もしも、職員が「Gさん、動きますよ」と声をかけていたら、もしかしたらGさんは怒り出さずに済んだかもしれません。

「現実」は、さまざまなコトをあぶり出します。

認知症のある方の能力も困難も特性も
それだけではなくて
援助しようとする側の能力も困難も特性も

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/113

そっと静かに

寝たきりで自発語のないような状態像の方には

そっと声かけを。

ささやくように。

暖かみのある声で。

ドアをノックする時やベッドのカーテンを開け閉めする時にも

乱暴にならないように気をつけて。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/109

声で雰囲気をつくる

大集団での体操の時などは、大きなハリのある声を出すようにしていますが

説明する時など集中してほしい時には

あえて、声量を落とします。

集団の集中の程度を感じとりながら

声量や話すテンポもコントロール。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/108

用事がない時ほど大事

 

声、まなざし、笑顔、うなづき

…言葉にならないものだけれど、私が大切にしているコト。

特別、用事がない時ほど大事だと思う。

他の人に用事があって

傍らを通り過ぎる時は、とりわけ気をつけてる。

 

 

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/103

意図的に選択された声かけ

対象者の方の言語理解力や視覚的理解力を把握して、

1度に言う文章の長さや動詞の使い方や

声の調子や強さやジェスチャー、場の工夫などを意図的に選択して

「日々の暮らし」にそって

対象者が理解しやすいように

行為しやすいような声かけができるということ。

それが、評価を治療に活かすということでもあり

まず、第一に、優先して考えられるべき事柄だと思うんだけど

あんまり、検討されていないような気がする。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/102

言葉以外の丁寧さ

相手が理解しやすい、受入れやすい対応をすることが大切。

時には敬語にこだわらないことも必要。

ただし、言葉で「丁寧さ」を伝えられない時には

声の調子や表情、態度などで「丁寧さ」を伝えることを忘れずに。

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wp/yosshi/96