Tag: コミュニケーション

疎通困難な方への生活援助

イメージ_猫

疎通困難な方のトイレ介助や入浴介助が大変だということもよく聞きます。
でも、どこが大変なのかを見てみると
介助者が「言葉だけで説明している」「理解する”間”を待たない」「次から次へと説明する」
といった関わりをしていることが多く、しかもその口調がキツくて早口という。。。
だから介助に協力してもらえないということが多々あります。。。
職員はなんとかしようとして、全介助・動作介助をしようとしますが、
そのような対応は認知症のある方の立場に立てば
何をどうしたら良いのかわからないところに、いきなり身体を動かされることになり
不安や恐怖が生じます。だから拒否する。。。

そのような介助しかできないのには、理由があります。
1)職員が「説明=言葉での説明」と思い込んでいて、視覚情報の提示という工夫をしていない
2)その方がスムーズに動作できるためには、どの手すりをどの順番で持つと良いのか
  職員が明確に理解できていないため、視覚情報を実際に提示できない

「独歩可能だけれど疎通困難で入浴が大変」
「2人で介助したけれど無理だった」と言われたので
(どこが大変だったの?)と尋ねたら
「言うことを聞いてくれない」
「介助に拒否する」という答えのみで
(あぁ、対象者の方の困難がどこにあるのか、理解できている部分はどこなのかを
 観察していないんだな)と思いました。
それでは介助を拒否されても当然だと思います。
そこでその方の入浴介助に入りましたが
アイコンタクトと視覚情報の提示でスムーズに拒否なく入浴してもらえて
笑顔で「ありがとう」と言われたものです。
視覚情報提示する手すりの場所と順番を明確化しただけで入浴介助が楽になったケースです。

手すりを指さした後に
必ず、その方が指さした手すりを見たことを確認してから
「つかまって」と言います。
つかまったことを確認してから
「立って」と言います。
立ったことを確認してから
浴槽のふちを指さします。
浴槽のふちを見たことを確認してから
「またいで」と言いながら
足を動かしやすいように、またぐ足と反対の足に少し重心を移動するように介助しました。
終始、声は穏やかな口調でゆっくりと、使う言葉は端的明確な言葉で伝えました。

また、動作誘導と身体を支えることは別の介助です。
ところが、多くの場合に介助しようとして
対象者のお身体を引っ張っているのではないでしょうか?
言語的な疎通困難だからといって
何もわからないわけではないし
自分から何もしようとしないわけではありません。
むしろ、その反対で自分でなんとかしようとして
その結果不合理な行動となってしまうことが多いものです。
その部分をこそ、観察しなければ。
そして、お身体を引っ張るのではなく
「支える介助」と「移動方向を身体へ伝える介助」を職員自身が明確に区別しなければなりません。
その区別ができていないから
お身体を引っ張ってしまい、当然、不安を抱いた対象者の方は自身を守ろうとして拒否します。

こういうことを言うと
必ず「わかっているけど忙しくてそんなことはしていられない」と言う人が出てきます。
忙しいのはもちろんわかりますが、
忙しいということと、対象者の状態像を把握できていないということは全くの別問題です。
忙しいなら尚更ひと手間かけた方が入浴介助に要する時間は短くて済みます。
そして適切なひと手間は、適切でありさえすれば0.5手間に減るものです。
多忙さと自身の未熟を混同したり、問題の本質をすり替えて自己防衛で終わってしまってはいけません。

忙しいと言って、視覚情報の提示をせずに介助が長引き、入浴時間も長引いてしまえば
そちらの方がよっぽど非効率的です。
忙しいからこそ、言葉だけに頼らずに明確に視覚情報が提供できるように自身の関与を工夫すること
で時短にもなり、認知症のある方にとっても職員にとってもポジティブな体験ができて効率的だと思います。

そのためには
漠然とした「〇〇さんは声かけの理解ができない」といった漠然とした認識を改めて
どんな感覚情報なら理解できるか
視覚情報なのか、触覚情報なのか、運動覚情報なのか
どんな声かけなら理解できるか
〇〇さんの能力に働きかけるために〇〇さんの能力を把握しておかなければなりません。

案外、見落とされているのが
提示する感覚情報の順番です。
視覚情報や触覚、運動覚の情報をまず最初に提示して、声かけという聴覚情報はその次です。

疎通困難な方は何もわかっていないわけではありません。
声かけの理解が困難であるからこそ、一層、自身でなんとかしようとしています。
(その結果不合理な言動となってしまうことも多いですが)
周囲の状況を見てはいても、周囲の多数の対象物あるいは自身の身体の
何をどうするか、どこをどうするか、わからないで困っている時にはその部分を伝えます。

まず最初に、「何」「どこ」を視覚、触覚、運動覚で提示します。
それから、次に言葉で「どうするか」を「持つ」「立つ」と伝えます。
必要であれば、動作誘導も行いますが、ここでは介助ではなく誘導なので
そこをきちんと区別して動作の最初の部分だけを弱い力で伝えるようにします。

そうすると
動いてくださる方は多くいますし
仮に、動けなくて全介助が必要となっても介助に協力していただけるようになるものです。

お薬を飲む時に拒否されるという場合も
まず、薬袋を見せてから(視覚情報提示)
次に、言葉で「お薬」と言うことで飲んでいただけるようになるケースがとても多いのです。
開口できない場合は、スプーンの先でチョンチョンと口唇を刺激してから(触覚情報提示)
次に、言葉で「口、開けて」と言うことで開口できる場合が多々あります。

介助者側が提示する感覚情報の区別をつけず、提示の順番も考慮せずに
どんなに丁寧に
「大切なお薬なのでお飲みいただけないでしょうか」と言っても効果がないことが圧倒的に多いのは
善意からであったとしても
職員側のスローガンやモットーを実践するだけになっていて
前の前にいる方の状態に合わせた配慮が為されていないことが原因です。

口腔ケアをしようとしても「口を開けてくれない」と言われることもありますが
やり方を見てみるといきなり歯ブラシを口の奥に突っ込んでいます。
それでは拒否されて当然だと思います。
口腔ケアの介助方法については、こちらでも複数の記事を書いていますので
ぜひ、サイト内検索をしてみてください。

私たちが無自覚で不適切なことをしてしまっているがために
認知症のある方が驚いたり不安になったりして結果として拒否に至るケースは
とても多いと感じています。
でも、裏を返せば、それらの問題は同時に、これから先、未来への希望ともなりうるものです。

自身の未熟に向き合うことや
現行の常識とされている関与の仕方を見直すと言うことは、辛いことかもしれませんが
異なる現実と出会うスタートラインでもあるのです。

 

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疎通困難な方へのリハ:ひも三つ編み

他者との交流を楽しむよりも
対象に向き合うことを好むような方には
ひも三つ編みを提供します。

ひも三つ編み 
  
100均でも売っている、スズランテープを3色用意します。
最初は、私が編む反対側(ひもの編み始めの部分)を持っていただきます。
すると、ちゃんと私の編む力に応じて、ひもの引っ張り加減を調整してくれるのです!

重度の認知症のある方でも
触覚や運動覚は保たれていることが多いので
保たれている感覚刺激を活用します。

硬い表情で、関与に拒否しがちな方がちゃんと引っ張り加減を調整してくれている、
こちらの変化に応じて調整してくれている
私がわざと強く引っ張って持ち手が抜けそうになった時に
思わず笑顔になられた方の、その笑顔の晴れやかさ。
二人で笑い合ったことを覚えています。

場合によっては
その後に、三つ編みをすることができる、思い出せる方もたくさんいます。
かつて、ご自身や娘さんの髪の毛を三つ編みに編んだり
草履を縄で編んだりしていた方の場合、手続き記憶として残っていることが多々あります。

ただし、この時にポイントがあります。

三つ編みをする時に
どのひもをもち、どこへ動かすのか、非常に混乱しやすくわかりにくいのです。
そこで、ポイントは3つあります。
   
1)3色使う
3色使うことで、どのひもを持つのか明確になりますし
声かけする時にも「〇〇色のひもを持って」と明確な声かけができます。
これが1色だけだと「右端のひもを持って」という相対的な位置関係を示す言葉を使わなくてはなりませんが、そのような声かけは理解するのが難しい場合もあるからです。

2)最初はひもの長さを短くする
ひもの長さが長いと、ひもを動かす時に
からまりやすくなってしまいますし、多数のひもが見えて、どのひもがどの部分なのかが
わかりにくくて混乱や不安のもとになるからです。

3)短めのひもをあらかじめ複数用意しておく
1つ三つ編みを仕上げてから、次の三つ編みの準備を始めると
「待つ」という時間干渉によって、せっかく不安なくできた動作も忘れてしまい
「できた」という体験の蓄積ができず、1からやり直すことになってしまいます。
「できた」という体験の後にすぐにもう一つ「できた」体験ができるような場面設定をしておくと
成功体験の蓄積が可能となり、手続き記憶を思い出しやすくなり、
長めのひもでもスムーズに編むことができるようになります。

出来上がった三つ編みは
上の写真のように、空き缶の周りに貼り付けると
多少の編み目の不揃いさがあっても、かえって良い味わいとして見えるものですし
玉のれん(若い人は知らないかもしれませんが、昭和の時代には家庭に必ずぶら下がっていたものです。検索してみてください。)のように飾りつけても
懐かしく思い出だしてもらえると思います。

ここで強調しておきたいことがあります。
Activityを提供する時に
「私も一緒にやるから大丈夫」という言葉は使わないようにしましょう。

構成障害があるか、その恐れがある方に対して「私と一緒にやるから大丈夫」という言葉は禁句です。
構成障害とは、その定義上、見比べることの障害なので
職員のやり方を模倣することは困難です。
ところが、認知症=忘れてしまう という認識しか持っていないと
職員が構成障害への配慮ができなくて適切な関与ができていないのに
「やろうとしない」「いうことを聞いてくれない」などと
認知症のある方の側に問題をすり替えてしまう人も出てきます。

認知症のある方は、そもそも暮らしの困難を抱えています。
楽しみであるはずの余暇時間なのに、わざわざ困難に直面させ、困惑体験や失敗体験をさせる必要はありません。
ところが、たとえ善意からであったとしても
提供する側の職員の知識のなさから
職員側の問題を自覚しにくいという表面化していない、でも、根深い問題があると感じています。
この問題については別の記事で書いていきます。

職員のやり方を見て模倣しなくても
三つ編みができるように場面設定を調整することが重要です。

ひもの引っ張り加減の調整ができて
いったんは、三つ編みができても
やっているうちに混乱してしまったら
もう一度、編み始めの部分を持っていただき、引っ張り加減の調整をすることを体験していただいてから、再度短めのひもで編むことに挑戦していただくとスムーズに編めることもよくあります。
混乱したら、混乱なくできる一つ前の工程に戻るということも、
認知症のある方にActivityを提供する時の大切な基本です。

 

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疎通困難な方への対応

飲みもののチカラ

疎通困難な方に対応していると
だんだんと疎通が改善されることはよくあります。

ポイントは、言葉に頼らない。
言葉以外の非言語的理解を確認しながら
自身の非言語的表出をコントロールするということと
要所で明確で端的な言葉を使うということです。

そして疎通困難な方の移乗やトイレ介助、入浴場面などで
声かけをしても理解できないとすぐに動作介助をしてしまいがちですが
声かけをして理解できない方には、視覚的な情報を提供することがポイントとなります。
この時に、認知症のある方がこちらが指し示したところを見てくれたかどうかを確認しながら
次へ進むことが重要ですが、案外現場ではこの部分が抜け落ちています。。。

介助が、身体を通したコミュニケーションではなく
〇〇させる、ことになってしまっています。
食事介助にしろ、移乗介助にしろ、口腔ケアにしろ
認知症のある方が〇〇するのを援助する のではなくて〇〇させてしまっている。
当然、そこに拒否が生じます。
すると、介護拒否というレッテルを貼られて悪循環に陥ってしまう。。。

本当にもったいない。
次からの記事で具体的に
現場あるあるの改善提案について書いていきます。

 

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問いを問い直す

認知症のある方への対応にしろ
食事介助への提案にしろ
生活期にある方へのポジショニングにしろ
私のさまざまな提案の根底に通底しているのは
現行の在り方への疑問です。

問いを問い直す

アーシュラ・K・ル=グウィンの「西のはての年代記III ヴォイス」という本に
「心の中の神が石の中の神を見る」
「はかりしれない謎に理にかなった思考を寄せる」
「われわれの探す迷子の羊は真の問いだ
 羊の体のあとに尻尾がついてくるように
 真の問いには答えがついてくる」
という言葉が出てきます。
まさしく!まさしく!

いわく
現場では多くの人が、
認知症のある方の大声や暴言、介護抵抗といったBPSDが
「どうしたら出なくなるか」
「どうしたらなくなるか」
という問いを立て、その問いに答えようと多様なハウツーが主張・展開されています。

でも本当は
「何に対して怒っているのか」
「何が嫌だと表現しているのか」
を尋ね、共有化することが最初の問いなのではないでしょうか。

どうしたらBPSDがなくなるのか
という問いは目標設定が適切にできるようになれば
(現実には大変な困り事ではあったとしても)
解決の視点としてはおかしなことだと気がつけるようになります。
 「BPSDがなくなる」というのは行動ではないので目標にはなり得ないからです。
  詳細は目標設定についての記事を検索・ご参照ください。

問題設定の問題、問いを間違えていたのです。
だとしたら、問いを問い直せば良いだけです。

尋ね方にはまず言葉で尋ねることが重要で
その尋ね方にも知識と技術が必要ですが
その際の知識と技術が明確化されていないのが私たちの側の問題の一つです。
また、言葉ではなく「介助というもう一つの言葉」で
「もしかしたら〇〇ということが嫌で怒っていたのですか?」
「△△という方法なら大丈夫でしょうか?」
と尋ね確認する過程も必要で、この過程にも知識と技術が必要ですが明確化されていません。
これも私たちの側の問題です。
(いずれに対しても私はあちこちで知識と技術の側面から提案をしています)

これらの過程の問題が解決されていないので
紋切り型の対応やハウツーが希求されるしかないのだと思います。
でも、そのような対応では実際の現場で
「うまくいかない」体験を必ずしているはずなんです。

認知症のある方への現場では
いろいろなことが混同され切り分けられていないという側面もあります。
そこを整理することが必要だと考えています。
・善意であれば正しい結果を出せるわけではない
・対人援助は関係性の中で為される行為であるからこそ
 援助者側の困難が対象者の問題として投影されてしまう
・援助は強制や独善とは同じコインの裏表
 容易にすり替わりがちで
 援助であれば強制や独善にはなり得ず、強制や独善であれば援助にはなり得ない
・援助者側の都合は否定されるものではないが、混同されるべきものでもない
・対象者の言動を的確に観察・洞察できている援助者は思った以上に少ない
・安易な紋切り型の対応、ハウツーへの希求は
 受講者側だけでなく研修会主催者や講師側にも根深く位置づけられているため
 拡大再生産されてしまう

これらの現実をきちんと見つめ、整理し直すことが必要だと考えています。

紋切り型の対応やハウツーの当てはめを卒業できるように
こちらでの記事をはじめ自身のサイトや著書や講演を通して具体的に提案をしています。
困っている方はぜひご参照ください。
   
卒業できるようになるには、
知識も技術も必要ですし体験学習の蓄積という時間も必要です。
技術を習得・実践・活用できるようになるまでの過程で
時には自身の未熟にいやというほど直面させられることもあるでしょう。
でもその先があるのです。

実践の過程を支えてくれるのは
認知症のある方が良くなっていく過程の協働体験そのものです。
認知症のある方がなんとか問題解決しようとする意思と
不合理な形であったとしても発揮されている能力の発露に触れることです。

そこを知れば、もう決して元の在り方や考え方に戻ることはできません。

 

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昔の手遊び

意味性認知症のある方など疎通困難な方に対して
表面的に疎通を改善しようとするのではなくて
その方が可能な言語的理解と非言語的理解を組み合わせた関与を心がけています。

言葉は端的に

表情は大袈裟なくらいに
今はマスクをして勤務しているので
笑う時には敢えて眼までくしゃっとさせて笑うようにしています。

もっと気をつけているのは口調です。

その方の声のトーンに合わせながらも
ベースは耳に心地良いように
穏やかで温もりのある声を心がけています。

Activityとしてよく使うのが
1)ひも三つ編み
2)昔の手遊び
です。

いずれも認知症のある方の手続記憶として保たれています。
ひも三つ編みは、言語を介さずとも日言語での「やりとり」が可能です。
ひも三つ編みの詳細は、_ こちら _ のページをご参照ください。

今日、ご紹介するのは、昔の手遊びです。
小さい頃、歌いながら近所の子と一緒に「かごめかごめ」「はないちもんめ」で遊んだ方は多いし
「♪ 夏も近づく八十八夜」と歌いながら手合わせできる方も多くいます。
ご自分だけでは歌えない方も隣で一緒に歌ってもらえたら思い出して歌える方はたくさんいます。
手合わせができるためには、
「相手」をしっかり感受し
「相手のタイミング」を見計らって自身のタイミングを合わせ合う
という、非言語ながらコミュニケーションの基本が含まれています。

手遊びという非言語的な要素を繰り返し行うことで
いつの間にか言語的疎通が驚くくらい改善されていくということも多々あります。

疎通困難な方でも特性に応じて使い分けています。
他者との交流を楽しむことを好む方には手遊びを
お仕事好きな方にはひも三つ編みを行っています。

言語的には疎通困難でも
非言語的には他者との交流が可能な方は大勢います。
そして非言語的な交流を積み重ねていくと
言語的な交流も行えるようになってくることも多々あります。

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認知症のある方の話を聴く:事実確認と感情表出

あけましておめでとうございます。

本年も情報発信に努めていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

・記憶の連続性を確認したい時には事実確認を優先する
・エピソード記憶を聴いている時や認知症のある方が言いたいことがある時には
 感情に焦点を当てて聴く

認知症のある方と話をする時には必ず自分の意図を明確にしています。
記憶の連続性を確認したいのか
認知症のある方に感情表出を促したいのか
意図が異なれば対応も変わります。

記憶の連続性を確認したい場合についてご説明します。

まず、その方の日課に沿って体験直後に尋ねます。
例えば、昼食後に(今日のお昼ご飯はいかがでしたか?)と尋ねます。
「おいしかったよ」
だけだと判断できないので
(何が一番おいしかったですか?)と尋ねます。
そこで具体的に献立名が返ってくれば覚えていることが推測されます。
(再生の可否を確認します)
ここで具体的な献立名が返ってこなければ
こちらから献立名を提示します。
(聴覚情報で再認ができるかどうかを尋ねます)
この時の答えや表情から再認可能かどうかが推測できます。
単にお愛想で応じてくれただけで再認が曖昧と思えば
他の場面で複数回、情報収集するようにします。

「このあと〇〇時にお部屋に伺いますね」とお伝えしてから
〇〇時に訪室した時の様子を確認します。
「あら、すみませんね」
「お待ちしていました」
と返ってくれば、お伝えした時刻から△時間は覚えてくれていたことがわかります。
「あら、どうしたんですか?」
と返ってくれば、お伝えした時刻から△時間は記憶の保持が困難だったことがわかります。

このように、意図的な会話ができれば
なんてことのない話の中で、拾えるエピソードがたくさんあることに気がつきます。
記憶の連続性については、こちらが意識してさえいれば
会話だけでもかなりの情報を収集できます。

認知症のある方が帰宅要求をしている時など
感情表出を促したい時には事実かどうかではなく
その方の感情に焦点を当てて話を聴くようにしています。

例えば
90歳代の方が
「お父さんの先生が亡くなったからお通夜に行かなくちゃ」
と発言された時に
ここで「お父さん」が夫なのか父を指しているのかはわかりませんし
どちらであったとしても既に亡くなられていることは事前情報から把握できています。
その先生であれば、おそらく亡くなられていると思われますが
いずれにしても、それらの事実はさておき
「お世話になった方が亡くなられたから最後のご挨拶に伺いたい」
という気持ちは理解できます。

「とてもお世話になった方が亡くなられたんですね」
「それでお通夜に行こうとしていたんですね」
「不義理なことはできないですよね」
その方の特性を把握できていれば
どのような言葉を選択したら良いかは自然と浮かび上がります。

その方のほうから
どんな先生だったか語り始める時には
その方に任せて語られていることをイメージしながら聴いていきます。

必要に応じて沈黙も大切にします。

帰宅要求があると
話を逸らそうとしたり
気を逸らすために何かさせたり
といった対応をする人は多いけれど
帰宅要求があった時に介入可能であれば
きちんと感情表出を促すことで(だけで)
自然と帰宅要求が収まってしまうということは多々あります。

HDS-Rの得点が1桁の方でも
単なる説明(聴覚情報)や視覚情報のを併せて提供すると
再認することができる方は数多くいます。

人権擁護と認知症がご専門の齋藤正彦医師は
「微笑みながら徘徊する人はいない」
「微笑みながら帰宅要求する人はいない」
と言っていましたが、本当にその通りだと思います。

必死になって訴えている方に対して
気を逸らす対応をしていたら
信用してもらえなくて当たり前だと思います。

現行で常識的な対応とされていることでも
よくよく考えるとおかしな対応って結構あります。
じゃあ、どうしたら良いのか、改善提案をしていきますね。

 

 

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認知症のある方の話を聴く:重要なことは復唱する

認知症のある方の話を聴く時に
認知症のある方が発言した表現そのままを使って復唱するようにしています。

たとえば
「家に帰りたい」と言われたら
「家に帰りたいんですね」
「財布がない」と言われたら
「財布がないんですね」
と認知症のある方が発言した表現そのままを使って復唱します。
そのあとで、「それで急いでいたんですね」「それで困っているんですね」と言葉を継ぎます。

  クレーム処理の本を読んで時に
  「相手の言葉を復唱してから答える」と書いてあるのを読んだ記憶があります。
  あなたの言ったことを受け止めましたと言外に伝えることができます。
  そう言われてみれば、クレーム処理ではないけれど
  品物を注文した時のコールセンターの対応は、
  こちらの電話番号の確認の時に
  私が「ご、さん、の」と言えば
  相手も「ご、さん、の」と確認してきますし
  私が「ごじゅうさんの」と言えば
  相手も「ごじゅうさんの」と言う人がほとんどです。

声かけの最初は
相手の言った言葉を使って復唱するようにしています。

その後、話を聴きながら
相槌を打ったり、合いの手を挟んだり
時には、相手の話と同じ内容を違う表現で言い換えるようにしています。

「お父さんの先生が亡くなられたから早く行かなくちゃ」
「お世話になった方だから不義理なことはできない。
 それで急いで行こうとしていたんですね?」

「財布がどこにもないのよ!」
「大事なお財布が見つからないくて困っているんですね」

この1クッションを置くことで
「この人は私の言っていることをちゃんと聴いてくれる」
と思っていただけます。
会話のキャッチボールを強調して伝えることができます。

言葉は相手に伝わってこそ、言葉として機能します。

 

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認知症のある方の話を聴く:声の大きさとトーンを合わせる

声かけの大切さについて
否定する人はいないし、みんなそう言うけれど
私は「何を言う」かよりも
「どんな声で」言うかの方が重要だと考えています。

〇〇という時に、なんて声をかければいいでしょうか?
と尋ねる人はいても
自身の声の大きさやトーンの意義を自覚している人はとても少ないし
自覚的にコントロールしている人はさらに少ないと感じています。

認知症のある方は言語理解力が低下すると
(たとえアルツハイマー型認知症でも言語理解力が低下する方はたくさんいる)
何か言われたことはわかっても、何を言われているか理解できなくなります。
一方でだからこそ、職員の口調を鋭敏に感受し、口調に反応していることが多いのです。

声には発する人の感情が反映されます。

声の大きさとトーンを合わせることで
心理的同調を促す効果がある
と言われています。

まず、声の重要性を認識しましょう。
そして、相手の声の大きさとトーンに自身の声とトーンを同調させましょう。

大きな声やハリのある声の方には、こちらも同様に。
小さな声で落ち着いたトーンの方には、こちらも声を抑えめに。

一番、良いのは挨拶です。
「おはようございます」「こんにちは」
返ってきた言葉に反映された声の大きさとトーンを感受し、
同じような大きさの声とトーンで返します。
「今日も良いお天気ですね」「今朝は寒かったですね」
自然な会話の中で、声の大きさとトーンの同調を調整することができます。

「認知症のある方の話をきちんと聴く」ことの前提として
声が無自覚に伝えてしまうことがあることをきちんと理解する。
そして、自身の声の大きさとトーンに自覚的になる。
相手のその時々の声の大きさとトーンに鋭敏になり、同調させられるようになる。
ということがもっと広まっていくと良いなぁと思っています。

 

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