事実の子3:「関係性の中で評価する」

ICFという言葉は、リハやケアの世界に定着はしていますが
思考回路としてはまだまだ定着しているとは言い難い現状にあると感じています。

先に挙げた
「口腔期の易疲労によって二次的に咽頭期に問題が引き起こされる」
というケースは、観察・洞察・評価して初めて認識できる事実です。

ところが、現実には
目の前で見える、結果として起こっている、咽頭期の問題そのものだけを
問題として設定してしまいがちです。

いわば、
「私たちは、太陽や月や星が動いているのを見ているから、天が動いているのだと考える」
のように天動説を唱えていた人たちと同じ認識になってしまっています。
じゃあ、なぜ、月食が起こるのでしょうか?

本当に
「事実の子たれよ。理論の奴隷たるなかれ。」なんです。
事実と事実が食い違うことがある。
その時には事実を説明する理論の方が間違っている。
事実は厳然として現前しているからです。
異なる説明には視点と考え方を変えることが要請されます。
その要請に抵抗が起こってくることがとても多い。
事実に即した、でも新たな視点と考え方に依拠した説明をする人が糾弾されてしまう。
それでも後世に糾弾された人の方が正しかったことが証明される。
まさに地動説を唱えたガリレオや
ハンセン氏病の感染の低さと隔離政策の不適切さを訴えた小笠原登のように。

ICFは、相互関係論です。
ICIDHは、因果関係論です。
因果関係論によって確かに科学は進歩してきた。

けれど、
認知症のある方にとっての明らかな唯一絶対の「原因」となることはない。
「きっかけ」となることはあったとしても。
過去・現在・未来の時間軸という縦軸と
複数の心理的・物理的環境という横軸との中で暮らしている認知症のある方には
「必然」はあっても、「原因」はない。

食べ方の問題もそう、対応の工夫も同様です。
だからこそ、私たち介助者が関与できる余地があります。

現実には
ICIDHの因果関係論は根深く私たちの思考回路にこびりついている。

逆に言えば
ICFを本当に実践に位置付けることによって
新たな実践の科学としての視座を提示することも可能なのだと感じています。 

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