観察と洞察のチカラを磨く3

観察と洞察のチカラを磨くためには
理論やある特定の方法論に依存してしまうと逆効果になってしまいます。

例えば
私はバリデーションワーカーの資格を取得し
実際の臨床でも実践することはありますが
バリデーションありき。とは考えていません。

バリデーションの創始者のナオミ・フェイル氏が
「バリデーションは万能ではない」と言っていますし
私も逆効果になってしまうこともあり得ると考えています。
(こう言うと、バリデーションを否定した、などと誤解する人がいますが
決して否定はしていません。適否の判断が必要なのです。)

詳細は、作業療法ジャーナルVOL.47 NO.7 2013の
「バリデーションの紹介−体験談を通して」をご参照いただけたらと思います。

バリデーションの適応を考えるためにも
また、バリデーションよりも優先することを実践できるようになるためにも
観察と洞察によって
今、認知症のある方に何が起こっているのか
認知症のある方は状況をどのように感受・認識しているのか
ということを評価・アセスメントできるようになることの方が
最も大事なのに、この部分が不十分なケースが圧倒的に多いと感じています。

以前にある医師に
「認知症には何が良いのか」というテーマで話をしてほしいと言われ
こういう考え方をしている人が多いんだな。。。
きっと回想法、学習療法、音楽療法、〇〇法、etc。。。ということを考えているんだろうな
と感じ、そうではないのだということを
もっと大切なことがあるということを伝えようと構成した講演をしました。
講演後にその医師から
「大変よくわかりました」と言われ、恐縮したものですが
きちんと伝えれば、わかってくれる人はわかってくれるんだと感じたものです。

回想法、学習療法、音楽療法。。。
それらが認知症に効果があるのではなくて
それらに向いている人がいる、あるいは効果的な時期がある
ということを意味しているのであって
認知症全般にエビデンスがあるというわけではないと考えています。

だからこそ
今、目の前にいるAさんに対しては、どのような対応が必要で効果的か
という評価・アセスメント・判断が求められている。

OTを含めたコメディカルの中にも
「塗り絵は、対象認識・色の判断など脳機能を賦活するので認知症に良い」
などと言う人がいますが
考え方としては、逆向きです。

方法論が最初ではない。
対象者が最初です。

「事実の子たれよ。
理論の奴隷たるなかれ。」

この言葉は、内村鑑三の言葉です。
詳細は、このブログにも「事実の子たれよ」という記事を書きましたので
ご参照ください。

〇〇法という理論よりも
認知症に関する知識を習得し
習得した知識を活用した観察ができるようになり
認知症のある方に何が起こっているのかを洞察できるようになることの方が
もっと切実に重要です。

その上で、〇〇法という理論を活用した実践の適否が検討されるものです。

私の講演後の感想で多いのが
「評価してるつもりだったけど、全然だとわかった」
「もっと観察が必要だということがよくわかった」
というものです。

きちんと伝えれば、わかる人は大勢いる。
伝えることの重要性を再確認しています。

一番の基礎である観察が広く深く行えるようになるためには
知識の習得が必要です。
知識というのは、単に聞いたことがあるというレベルではなくて
活用できるくらいに身についているという習得が必要です。

知識を基にした観察は、どのように行うのか
知識に基づかない観察とどのように異なっているのか
実践できている人には、その違いが明確にわかります。

 

  

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