観察と洞察のチカラを磨く

観察力・洞察力を磨く
普通の人には、わからないことでもわかるようになる

専門家として磨くのは本来そのチカラだったのだと思います。

ところが、その過程において
観察や洞察は、主観に偏っている・根拠が乏しいという批判があったのでしょう。
検査やEBMという考え方が大きく取り上げられるようになってきました。

観察や洞察がいけないのではなくて
中途半端で未熟な観察や洞察が悪いのだから
観察や洞察のチカラを磨き上げるようにするには
どうしたら良いのかという検討が為されるべきだったのだと考えています。

ところが
どうしたら良いのかという検討が具体的にできるためには
観察や洞察に秀でた専門家集団がいなければ始まらない。
少なくともそう在ろうとする専門家がいなければ実現できない。

だから
検査やEBMに流れてしまったのだろうと思っています。

もちろん
検査やEBMを否定はしません。
必要な検査はすべきだと考えています。
検査しなければわからないこともあるし
根拠のないことを提供するのはおかしなことだと考えています。
ただ、その根拠が何なのかということが問題だとは思いますけど。

同時に
検査やEBMの限界も認識しなければ。

嚥下造影検査で誤嚥性肺炎になり亡くなってしまうケースは本末転倒だし
検査を理解した上で対応できない人にどうしたら良いかという問題は残るし
90%の人に根拠があると言われても
目の前の方に適しているかどうかは確認しないとわからない

それらをどうするか
どう考えるか

観察・洞察は対象者を選ばない
選ばれるのは私たち援助者

だから逆に
検討の遡上に載せにくいのかな?と邪推してしまいます (^^;

観察力・洞察力は磨くことができる
その道は厳しく時間も必要で安易ではないだけで

  

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