結果としてできるように
ということを考えています。
どういうことかというと
直接的には「させない」という意味です。
例えば
歩幅が狭いから歩幅を広く歩くように
「足をもっと前に出すように」とは「言わない」
「後に残っている脚の膝の裏側を伸ばすように」意識しながら歩いてもらいます。
つまり
大腿四頭筋を意識して使うのではなくて
ハムストリングスを動きの中で使うように促します。
「え?」と思った方は試してみて。
結果として足が前に出やすくなり
結果として歩幅が広くなるから。
廃用や低運動の問題として
「筋力低下」ってよく言われるけれど
私は疑問に感じています。
筋力低下は結果として起こっている
筋力低下をきたす必然がある
主要問題は身体の使い方、身体の働きの低下であって
筋力低下は二次的に起こっている。
ところが
現行の多くの方法論では
身体の働きを高めずに筋力を強化するから
筋力で過剰代償させてしまっているから
身体の働きを高めるどころか、低めてしまう。
その場の「やった感」「がんばった感」はあっても
動作の改善にはつながらず、身体を痛めてしまうから続けることが難しい。
何回も書いていますが
立ち上がり100回なんて百害あって一利なしですよー。
二次的に起こっていることに対して
表面的な対応だけしてしまうと
(そしてその対応は表面的にでも、見えているからこそセラピストも本人も必要だと誤認しやすい)
一時的には改善したように見えても
それは代償しているだけだから
本質的な改善にはつながらなくて
長期的には逆効果になってしまう。
不適切なスプーン操作にすら適応して誤学習が生じるのと
全く同じことが違うカタチで現れているだけ。
人間の身体は本当に凄い
環境を意識的・無意識的に感受し
総体として常に適応しようとしている。
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