会話の工夫10

私が新卒だった頃には
食事を始めとするADLの奥深さを全くわかっていなかった。
今、つくづくそう思っています。

言葉だけでのやりとりは限界があります。

重度の認知症のある方の中には
ADLが全介助、自発語もない方もいらっしゃいます。

だからといって
希望が全くないわけじゃない。

日々のADL介助そのものが
ノンバーバルコミュニケーションになる

ADLの介助を
目の前にいる方に対して適切に行えるためには
目の前の方の状態を観察して
何が起こっているのかを洞察できることが必要
洞察に基づいて介助してみて
自身の介助の適否を相手の反応を確認しながら修正しつつの関与が必要

その一連の過程において
目の前にいる方の「援助」をしようという自らの意図を揺るがせずにいることが
一連の過程を担保することになる

言葉は行き交うことがなかったとしても
行動というもう一つの言葉
身体反応というもう一つの言葉が
沈黙の中で豊かに行き交っている。

適切なADLの介助ができれば
それは、同時に、ADLの下支えとなる、あるいはメタ機能としての
コミュニケーションー観察・洞察・確認ーが
適切に行えていたということの証左となります。

意思疎通困難な方の食事介助を行うと
食べられるようになることと並行して
疎通が改善されるようになることも多々経験しています。

「食べられるようになるスプーンテクニック」
に具体的に記載していますので是非ご覧ください。

最初の頃は単に嬉しかっただけですが
起こっていることの意味がわかってくると
嬉しさも増す反面、怖さも実感するようになってきました。

認知症のある方は
能力を喪失してしまったわけじゃない

そういうことが深く実感できる体験は
対人援助職を続けていくことの支えであり励みであり
襟を正す機会にもなっています。

  

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