ようやく言語化できるようになってきた。
今まで考えてきたことが、もう一段深い理解が伴うと
スッキリと言語化できるようになる。
認知症のある方で
意思疎通困難な方は
言葉だけじゃなくて
身体と環境・介助への適用も困難になることが多い。
立ち上がり、然り
食事介助、然り
多くの人が経験してると思う。
立たせようとしても、うまく協力して立ち上がってくれない。
食べさせようとしても、うまくスプーンから食べてくれない。
でもそれは
見かけ上の混乱・低下であって
一時的な混乱・低下だから
如何に、その方が介助も含めた環境を明確に感受・認識できるようになるか
ということの援助がまず必要。
そこにプロとしての意義がある。
限定した環境下で能力を発揮できるようになると
感受・認識できる環境が広がっていく
より多様な環境下でも能力を発揮できるようになっていく
そういうことがわかっていないと
善意の元に、良かれと思って、あれこれと余分な声かけをして
認知症のある方の感受・認識の能力発揮を阻害してしまう
その結果、能力を発揮できないでいる状況を結果的に作ってしまう。
そして、そのことに無自覚でいると状況を打開できないし
本当に能力低下をきたしてしまう。。。
ハリー・スタック・サリヴァンの言った
「関与しながらの観察」って本当なんだとつくづく思う今日この頃です。
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