耄碌を濾過器として考える

鶴見俊介という哲学者が言っていたんですけど

「自分がもうろくを自覚したのは70歳のころです。
今はもうろくを濾過器として使っています。
細かいものは通してしまい、重みのあるものだけが残る。
それを中心に考える。」

  

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