入り口の扉を開ける

記憶のトレーニングが逆効果

認知症のある方が
鍵のかかっているドアをガタガタ思いっきり引っ張っている。

その時に
大抵の人は
結果として起こっている「ドアをガタガタさせて力づくで引っ張っている」ことだけを見て
「ドアが壊れちゃう」「そんなに引っ張ったらダメ」と言ってしまっていると思う。
そうすると
「何言ってるんだ!」と怒鳴られたりしてしまう。。。
臨床あるあるだと思います。

「思いっきり」引っ張っている、その強さは
その人の意思の強さなんです。

何もわからなくてドアを壊そうとしているわけではない。

だからといって
為すがままにさせておけば、器物破損、場合によってはケガやもっと大きな事故に至りかねません。

私は、否定でもなく肯定でもない第三の道を模索します。

「どうしたんですか?」
オープンクエスチョンで率直に聴いてみる。

「このドアが開かないんだよ」

そう答えられたら
大抵の人はまた「このドアは鍵がかかって開かないんですよ」と答えていると思います。

本当は尋ね返さないといけない。

「このドアを開けてどうしたいんですか?」

「早く外に出たいんだよ」

そうするとまた
大抵の人が「まだ外には出られないんですよ」と答えていると思います。
そこで「なんで出られないんだよ!」と怒鳴られたりしていませんか?

本当はもっと聴き返さないといけなかったんです。
その人の本来の意図を。

「早く外に出て、どうしてもやりたいことがあるんですね」
「早く外に出て何がしたかったんですか?」

そこで初めて認知症のある方は
本来の意図を言葉にして伝えてくれる。
例えば
「子どもを探しに行かなくちゃいけないんだよ」
「お母さんが具合が悪いから早く行かなくちゃ」

それだけ強くご家族のことを心配しているのだという気持ちは伝わってきます。
イマ・ココの事実ではないけれど
心配しているという気持ちを今抱いていることは
紛れもなくその人にとっての事実なんです。

ここまで聴いて初めて
目の前にいる人の気持ちに触れることができる。
表面的に起こっているドアをガタガタさせて引っ張るという行動だけを見て
その行動を修正しようとしたりやめさせようとしても
効果がないどころか、逆効果にしかなりません。
お茶をどうぞと薦めたり、外は寒いからとその場をしのぐ声かけをしても
効果がないのも理解できますよね。

認知症のある方は
自分でなんとかしようとして行動しようとしている。
そしてその行動の本来の意図、目的をなかなか言葉にすることはないけれど
聴いてくれた人には答えることができる。
その意図、目的がその人にとって切実であればあるほど言葉にはしないものです。

それだけではなくて
聴いてくれた人の意図を敏感に察知・感受するものです。
「自分を助けようとしてくれているのか」
「指示に従わせようとしているのか」

そういう体験をしている人はきっとたくさんいると思う。
ただ明確な言語化ができにくいだけで。

入り口の扉を開ける

私たちは扉の取っ手を手にはしているのだと思う。
でも、自動ドアではないのだから
取ってに触れただけでは扉は開かない。
扉の取っ手を持って開けなければ。

えてして
私たちは
入り口に立つこともなく
扉を開けることもないのに
見てもいない扉の向こう側の景色を想像で語っている
そんな現状も多々あるのではないでしょうか。 

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