見れども誤解している

障害と能力の知識がなかったり
観察力と洞察力を磨いていないと
目の前にいる方が何をどうしているのか
「自分に観えない」ために
結果として現前する「能力低下」しか観ることができなくなってしまいます。

そして多くの場合に
認知症のある方のほうから
「私はこうしてこうしようと思ったのだけれど何をどうして良いかわからなくなってしまった」
と言葉にして、ご自分の行為を説明してくれることはありません。

そしてまた多くの場合に
スタッフも認知症のある方に対して
「ここをこうしようと思って困っていたのですか?」
と言葉にして尋ねる人も滅多にいないものです。

現に目の前で起こっていることを
見れども観えず、どころか
見れどもわからず、という自覚すらなく
見れども誤解している。になってしまっています。

認知症のある方の立場にたてば
不当な判断・認識・対応をされている
ということになってしまいます。

そのような現状に対して
「認知症のある方の言動を否定しない」「優しく親切に接する」
というスローガンだけでは方向修正が効きにくいと感じています。

現状に対して
何かどこか違う。という違和感を感じている人は
たくさんいるんじゃないかと思う。

現状突破の切り口は
障害と能力の知識を習得する
その知識を活用して観察力と洞察力を磨く努力をする
ことにあると確信しています。

作業療法士であれば誰でもできるとは思いませんし
(私だってまだまだですし)
作業療法士以外の職種の人だってできるようになるとも思っていますが
養成の特性上、作業療法士が一番近道にいることもまた感じています。 

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