ある人に
「よっしーさんは理系ですからね」
と言われたことがあって内心ビックリしたことがあります。
いやー高校の時は理系苦手でした。。。
でもある時に数学の美しさに触れて感動して
「年とってから数学にハマると大変だからやめておきなさい」と言われ
なんとなくわかる気がして老後の楽しみに封印してるということは言ってないはず。。。
私が仕事で認知症のある方に接する時には
ものすごく感覚と感情を使ってる。
でも、何が起こっていたのか判断する、どうしようか考える時には
できるだけ論理的であろうと努力している(つもり)
講演などで誰かに伝える時には
なるべく明確に論理的に伝えようと努力している(つもり)
恥ずかしながら白状すると
私、すごく涙もろいんです。
子どもが小さい時に、ドラえもんの映画を観に行って自分が泣いてたくらい (^^;
でも、というか、だから、というか
私、お涙頂戴はキライなんです。
公私ともに。
認知症のある方への対応の話って
なぜだか、感動路線に流されやすい部分もあるのよね。
そういう講演構成にしてる人もいるし。
それを求めて聞く人もいるし。
「泣く=良い」と判断する人もいるし。
でも、そんなことしたって
明日からの臨床の役には立たないのになー。
自分の困りごとも認知症のある方やご家族の困りごとも解決できないのになー。
だから、私は講演で感動路線は微塵も狙わない。
考え方や対応の提案も毒を吐く時も理詰めで吐きます (^^;
inputもoutputもsensitiveに
思考はcoolに
そういう在りようってカッコいいもん。
私の憧れです。
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