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みんなの体操を活用(1)

NHKのみんなの体操

施設で積極的にとりいれるのって
どうでしょう?

施設では、なんらかの形で集団体操が
行われていると思います。

そこに、みんなの体操も付け加える

時間にしたら5分もかからないから
検討の余地はあるんじゃないかしら?

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課題集団の扱いは要注意

実際の臨床の現場では

課題集団が圧倒的に多いように感じています。

みんなで体操をしたり

みんなでちぎり絵をしたり

 

課題集団の良いところは

構成メンバーが課題集団への参画を理解できていると

集団凝集性が高まり

共通する目的達成のために協力しあう…という

社会の良い面を活かすこともできます。

 

逆に、

案外、自覚されていないままに使われているように感じていますが

構成メンバーが課題集団への参画を

理解できていないままに実施すると

共通する目的達成を優先するために

個々の能力と特性よりも求められている行為に従う

…という面が色濃く出てきてしまいます。

 

段階付けとして、工程ごとに役割分担としておこなう

…という方法も多いようですが

基本的にはこれも同じだと感じています。

表面的には、役割分担として「できた」部分があったにしても

実際には、ご本人はしんどい思いをされていたりもします。

何故なら、周囲に合わせる…ということはさんざんしてこられたから

そして、自分自身のためではなくて

誰かのため、何かのために

努力してもできていたことができなくなってくる

喪失体験の渦中に今も尚生き続けているからです。

 

認知症のある方で

課題集団参画への理解が可能な方もいらっしゃるでしょうけれど

そうでない方にとっては

良かれと思っての提供が結果的にであったとしても

ご本人に辛い思いをさせてしまうことにもなりかねません。

 

課題集団として○○というAct.での場面での言動を評価する時には

提供したAct. という表面的な場面だけでなく

課題集団としての枠組みそのものが規定している「場」というものを

振り返ってみることも重要だと感じています。

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平行集団の活用

同じ時間と同じ場を共有しているけれど

取り組んでいる作業は人それぞれ

…という平行集団を活用しています。

 

その人の能力と障害と特性に応じて

段階付け、場面設定もした上で「場」を共有する

そこは1つの疑似社会となります。

 

いろんな人がいろんなコトをいろんなやり方でしている

という体験をすることができます。

 

個々の人が失敗しないで作業が行えるように工夫しているし

同じことを同じやり方で行うわけではないので

比較することもされることもないし

 

「場」がとても豊かになるのを実感できます。

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