Tag: 状態把握

スプーン操作を見直すべき兆候

対象者の方に下記のような兆候が見られたら
それは介助者がスプーン操作を見直すべき兆候でもあります。

<開口した時>
・舌が奥に引っ込んでいる
・舌が硬くなっている

<食塊をとりこむ時>
・顎が上がっている
・上唇を丸めずに閉じている
・口角から食塊がこぼれ落ちる
・引き抜いたスプーンに食塊が残っている
・正面ではなく介助者の側に頭部を回旋している

<食塊が口腔内にある時>
・咀嚼・送り込みに時間がかかる

<食塊を嚥下する時>
・喉頭が完全挙上しない
・喉頭が複数回挙上する

これらは、見ようと思えば今すぐに誰にでも観察できることですが
たいていの場合に、上記兆候は観察されず
「見れども観えず」
視界に入っているはずなのに意識化されていません。

上記兆候は
介助する側の人の不適切なスプーン操作が原因となって
引き起こされたり、増悪されたりしている兆候です。

つまり、改善可能な状態像なのに
見落とされていて対処されていないのが現状です。
 
食事介助の時には
ムセの有無しか確認していない人がとても多いのが現状です。

しかも、
強く激しくムセるとすぐに食事中止を指示する職員がとても多いという問題もあります。

ですが、このような対処は合理的ではありません。
ムセとは何か?
身体の働きについて本質を知ることなく思い込みで対処しているだけです。

この問題については次の記事で。

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スプーンの工夫:自力摂取

 

今から10年以上も前になりますが
食事が終わった方の手指を見た時の衝撃を忘れられません。

「このスプーンが重いのよ」と
通常使用している普通のスプーンの重さを訴えられた私は
スプーンを把持していた右手を確認して
くっきりとスプーンの跡がついていたのを見て驚きました。

その方は
特に片麻痺があるわけでもなく
外傷や末梢神経障害があるわけでもありませんでした。

こんなに力を入れて食べていたんだ。。。
と思うと胸がいっぱいになりました。

自力摂取できる方の場合
よっぽど食べこぼしが多いとか
時間がかかるといったことがないと
スプーンをどんな風に把持しているのか
あまり気にされることがないのではないでしょうか。

OTならぜひ一度はご確認いただきたいものです。

重度の認知症のある方でも
なんとか自力摂取しようとさまざまな把持の工夫を見てとれます。
把持の低下ではなく、工夫の意図が反映されています。

ひとつには
認知症のある方は、オーラルジスキネジアがある場合も多いのですが
自力摂取できている時には、オーラルジスキネジアによる困難は目立ちません。

ところが
食事に介助が必要になると
オーラルジスキネジアによる困難が一気に表面化します。
ものすごく介助がしづらくなります。
オーラルジスキネジアという認識ができなければ
「どうしてちゃんと食べてくれないの?」と思ってしまうかもしれません。

方策は2つ
ひとつは、できるだけ長く自力摂取できるように
スプーンを工夫すること
もうひとつは、食べ方をきちんと観察・洞察して
適切に食事介助ができるようになることです。

でも、こちらは本当に難しい。
食べ方を摂食・嚥下5相にそって観察することができない
それぞれにどのような能力と困難が反映されているのかを洞察することができずに
「ためこんでしまう」「飲み込んでくれない」「口を開けてくれない」
といった結果として起こっている表面的な事象しか見ていない人の方が
圧倒的に多いのが現状なのです。

そして食べ方の観察・洞察ができたとしても
改善していくためには焦らず辛抱強く
その時々の能力発揮を援助できることが必要ですが
そのような対応ができる人はまだまだ少ないのが現状です。

だったら、スプーンを工夫する方がまだ簡単です。
食べられるようになったか、ならないかが明白だからです。
手指に過剰に力を入れなくても
スプーンを把持できるように工夫する。
オーラルジスキネジアがある方もない方も
できるだけ長くスムーズに安全に自力摂取できるようになります。

市販のスプーンで対応できることもあるでしょうけれど
市販のスプーンは大きくて重くて
かえって扱いにくいものです。

軽くて把持しやすいスプーン
できるだけ長く自力摂取できるように
OT の腕の見せ所だと思います。

ただし
本当に予防的対応ができた場合には
皮肉なことに問題を未然に完璧に防いでしまったが故に
困りごとが起こらないのですから
周囲の人に何が起こっていたのかを理解してもらえないかもしれません。

私は村上春樹の「1Q84」に出てきた
「説明しなくちゃわからないってことは
 説明したってわからないってことだ」
と言う言葉に大きくうなづいたものですが
仕方ないことも世の中にはあるんです。
対象者の利益のために尽力するのが私の仕事であって
誰かに理解してもらうのが仕事ではないですから。

また
認知症のある方あるあるですが
新規事象への対応困難な故に
使い慣れているスプーンの方が良いと言うケースもよくあります。

スプーンを落とすことがなくなった
食べこぼしが激減した
という「事実」があるにもかかわらず
「(適合良好な)このスプーンは食べにくい」
と言いますし
その言葉を事実と照合せずに本人の希望だからと鵜呑みにして
「前のスプーンの方が良いのでは?」
と言ってくるスタッフが出てきたりもします。。。

スタッフには事実と照合することを促すために
「でも前のスプーンだと食事中に何回もスプーンを落としてたけど
このスプーンになってからは1回もスプーンを落としてない」
「前のスプーンでは食べこぼしが多かったけど
このスプーンになってからは食べこぼしは付着程度に過ぎない」
「本人には1ヶ月だけ試しに使ってみてと言ってる」
などと伝えるようにしています。

認知症のある方も
だんだんと新しいスプーンになじんでくるので
そうすれば「このスプーンは嫌」とは言わなくなるし
スタッフも疑問を呈することもなくなり
まるで最初からこのスプーンを使っていたかのように
当たり前になってきます。

そのためにも
私たちOTとしては、
本当に適合が最高なスプーンを
個々の方それぞれにオーダーメイドで作れるように
自身の技術を高めることと
知識のブラッシュアップを図ることが
OTの責務なんじゃないかなと考えています。

 

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DoとBe(優しくする ?優しくなる!)

認知症のある方への対応で
「優しくする」
「言動を否定しない」
「褒めてあげる」
等と言われています。

これらの常識化している対応について
何回も過去の記事にて疑問を提示してきました。

優しくするということは、優しくない ということです。
DoBeの違いです。

結果として優しくなるように
認知症のある方の状態がありありと実感を持って
わかるようになることの方が大切だと思う。

「大声を出す」「抵抗する」
というのは結果として起こっている表面的な事象に過ぎません。
表面的な事象に反映されている、なんとかしようとしている
その方の意図と能力がわかれば
結果として優しくなるし
否定できなくなるし
敬服したくなるし
少なくともキツい言い方は控えたくなる

認知症のある方は決して何もわからないわけではありません。

表面的に口先だけ、優しくしても、褒めてあげても
本心は伝わる
このサイトにお立ち寄りくださっている方なら
そういった実感をお持ちなのではないでしょうか。

本心として認知症のある方の努力と能力が実感できるようになるためには
知識をもとにした観察と洞察が必須です。
地道に努力を積み重ねれば誰でも実践できるようになります。

「あぁすればこうなる」式のマニュアルやハウツー以外の
思考をしたことがないと最初は大変に感じると思う。

「あなた、どうしてそんなに私のことがわかるの?」
「あんたが一番好きなんだよ」
そんな風に言われたり
認知症のある方が過去に信頼していた人と誤認されたり
他の人の前では見られないような能力を発揮する場面を共有できたり
そのような体験をしたことのある人はきっと私だけではないと思います。

ケアやリハの場面において
根底にどれだけ理解の実感があるのかということが
信頼関係に一番重要なんだとまさしく実感しています。

 

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「現場で本当に役立つ認知症研修会第2回」受付開始

「現場で本当に役立つ認知症研修会第2回」をオンラインで開催します。

作業療法士でなくても
学生さんでもどちらにお住まいの方でもご参加いただけます。

日時は
2022年5月14日(土)19:00〜20:30

テーマは
「認知症のある方への声かけの工夫〜眼からウロコの視点〜」

参加費は無料

事前申込制で
申込締切は4月30日ですが、
定員超過の場合には期日前でも申込を締切ますので
ご了承ください。

お申込は下記のURLにアクセスしてください。
https://forms.gle/HsStN3K2786zKAhD9

研修会の詳細は こちら をご参照ください。

お問い合わせは こちら からどうぞ。

 

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「あそこに行く!」

転倒リスクの高い方が
食堂からパントリーを指さして
「あそこに行く!」と言って立ち上がろうとしています。

(あそこに行って何をしたいんですか?)と尋ねたら
「あそこの向こうにある郵便局に行くんだ!」と答えました。

パントリーには食べおわった食器が並んでいます。
パントリーの向こうは廊下です。

さて
あなただったら、どう対応しますか?

答えは
今週の土曜日、2月19日に掲載します。

 

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概念の明確な理解

認知症のある方の
生活障害やBPSDといった困りごとの改善や
能力と特性の発揮のためには
評価、アセスメント、状態把握ができることが重要です。

評価、アセスメント、状態把握とは
決して、検査やバッテリーをとることではありません。
その時その状況を事実に即して、観察・洞察できることを意味しています。

観察・洞察というと
客観的ではない、科学的ではない、根拠に乏しい
といった批判もあるようですが
批判されるべきは、未熟な観察・洞察であって
観察・洞察そのものではありません。

観察の解像度を上げるためには
知識の習得が必要です。

知識の習得とは
単に知っている。ということではありません。

概念を明確に理解することです。

曖昧な理解しかできないから観察し損ねている人がたくさんいます。
その代表例が、「短期記憶」です。
この言葉、概念の誤認と誤用については
「現場で役立つ認知症研修会ー観察力を磨く」において説明します。

他にも、遂行機能障害、構成障害という
認知症のある方の生活障害に大きく関わっている障害について
言葉は学校で聞いたことはあっても
意味を明確に説明できない人はたくさんいます。

「わかっちゃいるけど言葉にできない」
と言う人もたくさんいますが
本当にわかっていれば明確に言語化できます。

  明確な言語化を突き詰めた先に
  どうしても言葉にできない領域がありますが
  突き詰めてもいない人にはそこまで到達できません。

遂行機能障害や構成障害とは何ぞや
という言葉の意味を言語化できないから観察できないのです。
観察できないから、当然、障害も能力も洞察できない。
結果、検査やバッテリーを活用するのではなく
検査やバッテリーにすがるしかなくなってしまう。。。
そのような人には観察・洞察とはどういうことか見当もつかないことだから、
観察・洞察を批判する。。。
最も大きな瑕疵は、自身が観察し損なっていることの自覚がないことです。

  本当は無自覚に意識下では、気がついていると思う。
  でも自覚してしまうと困るのは自身だから
  困らないように自覚することを回避しているんじゃないかな。。。?

けれど
観察し損なっているという自覚さえ芽生えれば
観察できるようになるチャンスがある
ということでもあります。

答えは常に目の前にあります。

そのためには
概念を明確に理解することが最初の一歩です。

ピンチはチャンス

 

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どうしたら良いのか考えてはいけない

大声や帰宅要求、更衣困難などのBPSDや生活障害に対して
「どうしたら良いのか」考えたり話し合ったりする人は多いけど
そのような在り方が、
的確な評価、アセスメント、状態把握から
ますます遠ざかっていくと感じています。

もちろん、ご家族だけでなく、職員同士も
辛いことや悲しいことを語り合う場は必要だと思います。

でも
「〇〇という状態の方に、どのような対応が良いのか」
ということは、考えたり話し合うことではないと
強く感じ、また考えてもいます。

なぜなら
その時その場にいる人にしか
状態把握できるチャンスはないからです。

BPSDや生活障害に反映されている能力と障害を
的確に観察・洞察することができるのは
その時その場にいる人だけです。

認知症のある方にきちんと向き合ってきたなら
発揮される能力と障害が日によって時間帯によっても異なる
ということを実感する場面にたくさん遭遇しているのではないでしょうか?

能力や障害が異なれば
対応の工夫だって異なるはずです。

その場にいない、状態像を把握できない人が
「こうしてみたら?」
「ああしてみたら?」
と言うことができるということは
普段から、その時その場にいる人が
今、認知症のある方に起こっていることを観察・洞察した上で
即応しているわけではないということを暗に示しています。

Aさんに〇〇してみたら上手くいったから〇〇するのはどう?
Bさんに△△してみたらよかったから△△してみたら?

これでは、表面的なハウツーを当てはめているだけです。

どう対応したら良いのか
答えは、BPSDや生活障害という場面にこそあります。

大切なことは
どうしたら良いのかという
表面的なハウツーを増やしたり考えたりすることではなく
任意の場面での言動に反映されている能力や障害を
的確に観察・洞察できるようになること

観察・洞察ができれば
どうしたら困りごとを改善できるのかという
答えが自然と浮かび上がってきます。

浮かび上がってこない時は
観察・洞察できていないことがどこかにあるということ

  もちろん、能力によっては対応困難なことはあります。
  それは認知症ではなく、他の疾患や障害でも
  できること、できないことがあるのと全く同じです。

何よりも大切なことは
観察の解像度を上げること
だと考えています。

世にグループワークは花盛りです。
認知症の研修会で
「どうしたら良いのか」話合わせるような研修会も散見しますが
そのような場面設定をすることで
話し合いの結果だけではなくて
どうして良いかわからない時→人に聞く、話合う
というメタ認識をも誤認させてしまい
ますます、自身の観察力を磨くこと
そのために知識・概念を明確に認識することから遠ざかり
ますます、観察・洞察ができなくなり
ますます、人に聞いたり、話合うことに注力させ
ますます、今、その時その場に反映されている能力と障害に基づいた対応ができず
結果、「一生懸命やっているのに効果が得られない」
という状態の悪循環になってしまいます。

グループワークで
「悩んでいるのは自分だけじゃないとわかって安心した」
という感想を散見しますが
苦しさ・つらさを分かち合った後こそが大切
そこからどうするか?が問われています。

グループワークにはグループワークの良さがあります。
けれど知識と技術の伝授は然るべき人からきちんと伝授されるべきです。

 

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連携について:実践的な考え方と工夫

オミアシヲアゲテクダサイ

多職種連携、チームアプローチは
古くて新しい課題
私が学生の頃から課題として取り上げられていました。

作業療法は、
確かにさまざまな知見を集積・発展してきたと感じています。
一方で、本質的な課題ほど
私が学生の頃と比べてあまり改善が為されていないように感じています。

例えば
目標設定について
評価について(検査やバッテリーではなく状態像把握という意味)
多職種連携、チームアプローチについて

目標を目標というカタチで設定できず目的や治療内容と混同していたり
検査やバッテリーをとっても、
結果を対応に活用せずに評価と乖離した実践をしていたり
対象者のための連携ではなくて連携のための連携にすり替わっていたり。。。
 
就職したての作業療法士が困惑し
先輩に相談しても本心から納得できるような援助が得られず
提示された表面的な対応をやってみるしかない
そしてあまり効果がないにもかかわらず
代替案がないのでなんだかなぁと思いつつも
なんとなく口を濁してしまう以外の手が見つからない。。。
実習生や新卒に指導する時にも
実は内心困惑しながら指導しているうちに
数年経つと困惑すら感じないようになってしまう。。。
といった状況が昔も今も変わらずあるんじゃないかなぁ。。。?

私は臨床家として
対象者の役に立てるようになりたいと必死になって考えてきました。
良いと言われたものは必ず自分で実践して
どこがどう良くて
どこがどう使えないのか
事実に即して具体的に考えながら
抽象化・言語化するという過程を実践してきました。

それらについては
講演や論文という形でも世に問い続けてきましたが
総まとめとして別の形でもまとめてありますので
よかったらご参照ください。

目標設定について

関与しながらの観察について

今回、多職種連携・チームアプローチについて
実践的な考え方と工夫について概観できるように連載記事を書きました。

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連携について

1 飲みニュケーションでは連携の問題を改善できない
2 プロのチームスポーツに学ぶ
3 連携という抽象論ではなく具体的に改善していく
4 情報伝達において前提要件を認識する
5 看護介護職は変則交代勤務
6 情報伝達の工夫:使う場所に情報提供
7 対象者が変われば職員も変わる
8 そもそも何のための連携?
9 たったひとりでも変わる意義

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日々の実践を高め深めるための臨床家としての提言です。

 

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