Category: よっしーずボイス(ブログ)

意思疎通困難な方とのコミュニケーション3

まず、暮らしの援助をするために協働して行うことの理解を得る
そのためのコミュニケーションを考える時には
1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする
2)その場の状況や場面を評価し可能であれば修正する
3)伝える言葉は明確にシンプルに
4)視覚情報を提示する
5)アメありとアメなしを使い分ける
というような工夫をしています。

一つずつご説明していきます。

1)自分のノンバーバルな表出をコントロールする

・アイコンタクトを得る

相手を漠然と見るのではなくて、相手の目をちゃんと見ることが大切だと思います。
臨床では、声かけはしていても、相手の目を見ながら声をかけているかというと
案外、疎かになりがちな部分だと思います。
相手がちゃんと「紛れもなく自分自身に言っているのだ」と認識しやすいように
アイコンタクトを得ることから始めています。
近時記憶の低下に伴い、モノゴトの経過や背景といった情報を忘れてしまう方にとって
とても大切なことです。

・相手のトーンに合わせつつも、キツい強い口調にならないように心がけます。

どんなに丁寧な言葉を使っても、その言い方がキツかったり強かったりすれば
感じ良いとは思えませんよね?
私は基本的には敬語を使うようにはしていますが
「敬語を使うべき」とは考えていません。
単語のみで話しかけることも多々あります。
相手の言語理解力が低下していれば敬語を使うことによって
かえって相手を混乱困惑させてしまうこともあるからです。
なぜ、敬語を使うのか、そもそもは相手への尊敬の念を伝えることが目的なのですから
尊敬の念はノンバーバルな表現で補うようにしています。

・身体の向きも、相手に向かい合うように心がけます。

顔を向けるというよりは、おへそを向けるという風に意識すると
身体全体が向かい合うようになると思います。
そっぽを向きながら言われてしまうと、
自分じゃない他の誰かに話しかけているように誤認されやすくなってしまいます。

・穏やかな表情で。

わざと明るく楽しそうにすることはないですが
少なくとも硬い表情だと相手を不安にさせてしまうと思います。
「あなたを困らせたりしない、大丈夫」
「あなたを助けたい、心配しないで」
と心の中で唱えれば自然とそのような表情になると思います。
「ケアは笑顔で」というスローガンではなくて
自分で自分の関与する意図を再確認することが近道のように感じています。

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意思疎通困難な方とのコミュニケーション2

私が認知症のある方とのコミュニケーションを考える時には
1)暮らしの援助をするために、協働することの理解を得る
2)何を言いたいのか理解し、会話そのもの、言葉のキャッチボールをする
大きく分けて、この二つの目的があると考えています。

いずれの場合にも
どんなに強調しても強調しすぎることはないと言えるのは
私たちのノンバーバルなアウトプットをコントロールすることだと考えています。

表情、声のトーン、声量、口調、物理的な距離、雰囲気や構え

基本は
相手に合わせます。

元気いっぱいな方なら、こちらも元気よく。
穏やかな物静かな方なら、こちらも控えめな声で。

認知症のある方が怒り出してしまう場合に
意外に多いのが、「わからなくて怒ってしまう」というケースです。

その時に
なんて言ったらいいのか、What を考えるだけでなく
どのように言ったらいいのか、How を考える
ということにも気をつけています。

言われた言葉ではなくて
言い方に反応して怒ってしまう
そういうケースは、非常に多くて
ノンバーバルを変えるだけでも、
火に油を注ぐこともなく、怒りを収めてくださることもまたとても多い。

私たち自らの
ノンバーバルなアウトプットを意識して使いこなす

これは鉄則だと考えていますし
まだ、公には言えませんが、
このような現実が示唆している事柄を
非常に興味深く思うところもあります。

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疎通困難な方とのコミュニケーション

認知症で疎通困難と一口に言っても
いろいろな方がいらっしゃいます。

たくさんお話しはするけど、会話が成り立たない方も
たくさん声は出るけど、言葉にならない方も
言葉も声も出ない方も
いろいろな方がいらっしゃいます。

私たちが認知症のある方とのコミュニケーションを考える時には
1)暮らしの援助をするために、協働することの理解を得る
2)何を言いたいのか理解し、会話そのもの、言葉のキャッチボールをする
大きく分けて、この二つの目的があると考えています。

私は認知機能障害もBPSDも重度の認知症のある方が入院する病棟で働いていますが
「もうこの方とは会話が成立しないんじゃないかな」
と思っていたら、ふとした時に会話が成立して驚いたことはヤマほどたくさんあります。
きっと似たような経験をしている方は、たくさんいるんじゃないかな。

諦めずに
思い込まずに
決めつけずに
その時その時で、状態を確認しながら対応することの大切さを感じています。

コミュニケーションをとるにあたって
具体的にどんな風に考えて
どんな工夫をしたら良いのか
少し整理しながら書いてみようと思います。

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情報提供

アルツハイマー病発現メカニズムに関しては
アミロイドβ仮説が有力とされてきましたが
原因なのか結果なのか真実は解明されてはいません。
その過程の只中にある現在、たくさんの研究者がメカニズムの解明や根本的治療薬開発に向けて
日々取り組んでいます。

その中で最近目を引いた関連情報をいくつか列記します。

「『医療上の利益が不十分』アルツハイマー型認知症治療薬フランスで保険適用を外されたワケ」https://answers.ten-navi.com/pharmanews/14317/
要旨:
臨床試験のエビデンスが実臨床に直接繋がっていないという有効性と
消化器系・循環器系に対する副作用のリスク、薬物相互作用による副作用のリスクという安全性から
保健償還不可とフランス高等保健機構が2016年に公表した勧告を受けて
フランス保健省がアルツハイマー型認知症治療薬の保険償還を2018年8月1日から停止すると発表

「老齢期でもヒトの脳では新しいニューロンが発生する」
http://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/12898
要旨:
健康なヒトの海馬ではニューロン新生が一生にわたって観察されるとのこと

科学は過去の知識の修正の上に成り立つ学問
その時々のたくさんの人の努力の積み重ねの上に今がある

情報収集は大切だけれど
その時点での確からしさという視点と
PDCAを回し続けるという姿勢を改めて確認した年度の切り替え時です。

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診療参加型実習への移行4

もうじき4月

2020年4月まで、あと1年となります。

時代は変わる。
時代に応じて、制度も変わっていく。

ただ、何事も変われば良いというわけではなくて
せっかく変わるのだから、良い方向へ変わらないと意味がない。
(改悪という言葉だってありますから、変化そのものが良いとは限りません。)

今回の変化は
どの立場の人にとっても大きな変化を要請されます。

ICFが登場して何年も経つけれど
今だにICIDHの呪縛は続いています。
本当にICFの理念を理解し日々の実践に活用できるようになるまでに時間がかかるのと同じように
今回の変化の意味を理解し日々の実践に活用できるようになるまでには
長い時間がかかるのかもしれません。

数十年先の人たちが
「えー昔はこんな考えでやってたの?」と驚くような時代が来ることを願って
今の自分にできることを着実に行って行きたいと考えています。

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診療参加型実習への移行3

私が考える最低限教えておくべきことふたつ

1)PDCAを回す:目標を目標というカタチで設定する
2)援助の視点で観察:能力の観察←環境因子としての自己の自覚

このふたつの重要性を体験を通して理解できることだと思う。

そうすれば、なんちゃってOTにならないですむと思う (^^;
どんなに時間がかかっても
対象者への援助と使役を混同しないOTになれると思う。

でもなんちゃってOTの人も結局はちゃんと教えてもらってないからだと思うので
可哀想といえば可哀想なんだとも思う。
多分、いまだにどちらも明確に教えてもらってない人が多くて
どこをどうしたら良いのかわからなくて苦労してる人がいっぱいいると思う。
かく言う私だって教えてもらったことがないから、ものすごく困ったもの。
そこを整理、言語化できるようになるまで、ものすごく時間がかかったもの。

PDCAを的確に回せるかどうか、のキモは実は
目標を目標と言うカタチで設定できるかどうかにかかっているんだと考えています。
多くの人は誤解していますが、実は内容よりもカタチが問われているんです。
内容がどうでも良いと言っているわけではなくて
PDCAを回すと言う観点に立つと、カタチが理解できていればPDCAは回せる
どんなに良い内容でも目標というカタチをとっていないとPDCAは回せないからなんです。

そして、恐ろしいことに
「目標とはなんぞや」ということがわかっていない人はものすごくたくさんいます。
(ちなみに、あなたは「目標とはなんぞや?」という問いに即答できましたか?)

だから、今だに、目標なのか目的なのか方針なのか治療なのか
混同しまくった目標もどきが跋扈しているという現状があります。
そのことに自覚がないから自己修正ができない。
だから表面的にPDCAを回しているようで、
その実回っていないということにも自覚がなく自己修正できない。。。

もうひとつ
いつの間にやら、援助が使役にすり替わってしまう
というのも、このギョーカイではよくあることで。。。
これは本当に根深い問題があるから
「気をつけましょう」なんてスローガンでは太刀打ちできない。
どうしたら細い山の尾根のような道から足を滑らせずに歩けるかを考えないと申し訳ないとずっと思っていました。

援助は関係性の中で行われるから
自分がわかっていることを明確にすること
その上で、対象者を修正したり改善しようとするのではなくて
「助ける」という視点を常に自己確認すること
つまり、能力を見出せるか、どうかということにかかってくる。

わからないことなんて、ヤマほどあるから
わかっていることから出発するしかない。
わからないことをわかったふりをしない。
わからないことはわからないとして
わかるに足る情報を集められるまで判断を留保して思考を停止しない。

重要な在りようを言葉で伝えるだけではなくて
声かけや関わりや場面設定にどんな風に反映されているのか
ということを体験を通して理解してもらえたら
自分で自分を育てていけるOTになれるんじゃないかと考えています。

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診療参加型実習への移行2

診療参加型実習への移行に伴い
危惧することのふたつ目は
体験の質をどう考えるか。ということです。

実習指導者会議では
以前から「学生にたくさんの体験をさせてほしい」という要望を何回も聞いてきました。

「体験したことを理解する」という意味では
体験することの必要性はよくわかります。
でも、体験なんて働き出したらいくらでもできます。
体験すればするだけ良いと言えるほど簡単なことでもないでしょう。
じゃあ、何が大切なのか。

学生ができる体験を増やしていく
ということもよくわかりますが
一方で何のために。ということを忘れてはいけない。
本末転倒になってしまってはいけない。と考えています。

それは近年、養成校側からも実習指導者側からもよく聞く
「作業療法の楽しさを教えてほしい」
「作業療法の楽しさを伝えたい」
という言葉です。

前の記事にもちょこっとだけ書きましたが
卒前の養成過程と卒後の養成過程は否応もなくリンクしています。

学生が学生のうちにたくさんの体験をする
しかもたくさんの成功体験ができるように支援する
それは将来対象者の方に適切な作業療法を提供できるようになるための一過程として必要なのだということから離れてしまってはいけないのだと考えています。

対象者の立場にたてば
作業療法を協働して行ったからこそ、効果があった
と感じられるような実践ができる作業療法士を養成していかなければならない。

あちこちで私が例えとして提示するのが
飛行機のパイロットの養成過程です。

どのような状況下にあっても
目的地まで安全に離着陸・飛行できるようになるために
パイロットの養成過程において「楽しさ」が求められるものでしょうか?

作業療法士の養成過程において
もしもその素晴らしさを強調したいのであれば
まずは、作業療法としてのリスク管理、対象者に対して不適切なことをしないようにする過程を伝えるべきではないでしょうか。

一時期よく聞かれた他職種からの批判的な感想に対して
「作業療法はこんなに素晴らしい」
「作業療法はこんなに理解を得られにくい」
という声をよく聞きましたが
そこで答えるべきは
「作業が療法として有効に機能できるように
これだけのリスクマネジメントを踏まえて立案・実践し、効果を出しています」
という論理的な反証ではないでしょうか。

学生に対して
どのように体験することを組み立てていけば良いのか
作業療法が素晴らしいほど
どうしたら作業体験が対象者の方に対してマイナスに作用することを回避できるのか
そのリスクマネジメントを同時に伝えていかないと
とてもマズイことになりはしないかという危惧を抱いています。

世の中、片一方というものはない。
効果のあるものは、副作用も強い。
作用が強ければ、反作用だって強い。
メリットがあれば、デメリットもある。

「力は前向きにも後ろ向きにも働く。同時に両方向には働かない。」
これは、アーシュラ・K・ル=グウィンの
「西のはての年代記 ギフト」でグライが語った言葉ですが
本当にその通りだと感じています。

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診療参加型実習への移行

2020年4月入学生より
実習は診療参加型実習が明確に推奨されるようになりました。

リハ職の実習とよく比較されるのが医師の実習形態ですが
医師の養成過程における実習は
研修医制度とセットになって行われています。
ところがリハ職の場合は研修医制度に該当するものはありません。
診療参加型実習、国試が終わるとすぐに入職して働くことになります。

従来のインターン実習が
研修医制度の位置付けとほぼ同じ意味があったのではないでしょうか。
いろいろな課題は抱えながらも。
それがなくなってしまう。

実習の諸々の課題をクリアするという意味で
あくまでも学生の学びの深化を支援するという位置付けを明確にしたのだと考えると
ある意味、実習指導者の負担も減るだろうと感じています。
(理念と制度、実践の矛盾が全て解消されていないにしても)

その分、今まで明文化されていないにしても
実習指導者と養成校が暗黙のうちに担ってきた部分を
これからは就職先が新規入職者に対して
指導者の元で実践的に学んでいく時期を担保することが求められてくると感じています。

つまり、卒後養成における就職先に求められる比重が結果として大きくなってくる。

もっと言うと、リハ職本人の向学心・自己研鑽が試される。
大人ですから、ある意味当たり前のこと、他人は他人、自分は自分だとは思いますが
問題は対象者の側に立ってこの現状をどう見るかということだと考えています。

どんな職業だって、ピンキリですが
診療報酬・介護報酬を請求できるセラピストの個人間の力量差が現状よりもさらに大きくなってくる可能性がある。
その一方で、報酬上はどのセラピストが実践しても一律請求となっています。

協会や厚労省は、この先をどこまで描いているのでしょう。

今回のカリキュラム変更は
養成校も実習地はもちろんですが、
実習地でないリハ職が勤務する就職先においても
対応が要請されていることを感じています。

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