目標を目標というカタチで設定する

目標設定について
養成校でも臨床指導者からも職場の先輩からも
概念理解と技術面の両面をきちんと教えてもらったことのある人の方が
少ないのではないでしょうか。

目標を目標というカタチで設定できることが非常に重要なのに
目標設定なんて簡単とか
目標設定が曖昧でも臨床をちゃんとやってれば問題ないとか
思われてるんじゃないかなーと思います。

たとえば
・「活動に参加を促す」
・「現状維持」
また、下記のような実施計画書を見たこともありました。
・「目標:関節可動域の改善・筋力の改善 
  方針:関節可動域の改善・筋力の改善  
  治療内容:関節可動域訓練・筋力増強訓練」
・「認知症だから目標を共有できない」として目標の欄が空欄

これら「なんちゃって目標」がまかり通っているのは、現場あるあるです。
「あ、自分もそうだ」と思った方は
後輩や学生に指導するときに説明できなくて内心困ったことがあるのではありませんか?

でも、ちゃんと説明できなくて
「言葉にするのは難しいけどそのうちだんだんわかってくるよ」とか
「だいたい良いんじゃない」とか
言ってしまったことがあるのではないでしょうか?

内心、モヤモヤとした気持ちを抱きながらも
日々の忙しさに紛れて後回しになってしまい、そのままになってしまったとか
職場の先輩や友人に相談したけれど納得のいく答えがもらえなかったこともあって
そのままになってしまったということだってあるのではないでしょうか。

「冒頭のなんちゃって目標のどこが悪いのか、わからない」という人は
ちゃんと教えてもらえる機会がなくて
「目標とは何ぞや?」ということをわかっていないのです。

ぜひ、こちらのサイトの_目標設定について_を読んでみてください。
きっとお役に立てると思います。

少なくとも
「これは目標だ」「これは目標じゃない」と
目標とそうでないものの区別がはっきりとつくようになります。
つまり、目標の概念を明確に理解できるようになります。
概念の本質を理解する体験ができるのです。

この体験はとても重要です。

臨床で最も重要な観察・洞察を的確に行えるようになるために
自身の内なるものを科学的であるように涵養していくための
最初の出発点は概念の本質を理解することだからです。

誤解している人が多いなーと思うことは
「科学的=多数の論文を読む」
「科学的=最新の知見を多数知っている」
「科学的=理論を使用している」
ことだと思っている人の多さです。
もちろん、それらの努力を否定はしません。
しないよりはした方が良いでしょう。
でも、多数の論文をいくら読んだって、
最新の知見をいくら知っていたって
いくら理論武装したって、
肝心の目の前にいる対象者の方が良くならなければ意味がありません
 
ここが重要なんです。
私たちは臨床家ですから臨床能力を高めるための手段として、
論文を読んだり最新の知見に触れたり理論を学んだりするのであって
それらが目的ではありません。
(私がよく言う、手段の目的化が起こっているのです)

かつて、「OTは科学的じゃない」という批判を受けた時に
おそらく、焦ってしまって努力の方向を間違えてしまったのだと思う。

だから、多数の検査をしても
目の前にいる対象者の方の言動から障害と能力を観察・洞察し損ねてしまう臨床家や
検査はしても、その結果を対応や治療に活用できない臨床家が
多いのではないでしょうか?
 
その証拠に
HDS-Rをとっても、その結果を声かけの工夫に活かせない臨床家が多すぎです。
HDS-Rをとることが目的化してしまい、どのように日々の臨床に活用するのかという
観点が欠落し、肝心の実践が為されていないことが多々あります。

立方体透視図模写テストや五角形模写課題をしても
「構成障害とは何ぞや?」という問いに明確に答えられなかったり
トレイルメイキングテストをしても
「遂行機能障害とは何ぞや?」という問いに明確に答えられなかったりします。
そんな状態で認知症のある方に
何が起こっているのか観察も洞察も出来ようはずがありません。
だから「〇〇という人にどうしたら良いの?」というカタチの質問が
あふれかえる。。。
 
評価と治療が乖離している

ハウツー的対応が跋扈するわけです。

その方に対して何をどうしたら良いのかは
その方に今、何が、起こっているのかを洞察できれば
自然と一本道のように浮かび上がってくるものです。

どうしたら良いのかと
考えたり、悩んだりする時点で
状態像を把握できていないということを示しています。

この時すべきことは
どうしたら良いのかを人に尋ねることではなくて
対象者の状態像把握に立ち戻ることです。
状態像の把握ができるためには観察・洞察することです。
観察・洞察ができるためには知識が必要です。
知識というのは
「構成障害という言葉を聞いたことがある」
「構成障害は立方体透視図模写テストをして確認する」
ということではなく、
構成障害という概念の本質を理解できていることが求められます。

目標設定もまったく同じなんです。
 
「目標とは何ぞや?」ということが理解できていないのに
適切に目標設定ができるわけがない。
よく言われる誤解が
「学生や若手だと経験がなくて将来像がわからないから目標が立てられない」と
目標の中身・内容の問題にすり替えられてしまうことですが
ここでも「問題設定の問題」が起きています。
だから、いつまで経っても適切に目標設定できるセラピストが増えてこない。
将来像がわからない、確信が持てないからこそ、目標を設定することに意義があるのです。
(このことについては別の記事で述べたいと思います)

目標設定の基礎は3時間あれば習得可能です。
基礎さえ教えてもらえたら、後は自分自身で蓄積・修正ができるようになります。

そして
今まで曖昧にしていた目標の概念理解が可能となると
リハ領域で曖昧にしていた諸々の知識の概念理解を
自己修正しようとする意思が働くようになります。
仮に、多忙のために先送りしていたとしても
機会が巡ってきた時に「これだ!」ということがピンとくるようになります。

まさに、一事が万事

ひとつの表面的な事象を理解するということは
同時にその表面的な事象を下支えしているメタ認識の理解も行う
ことになるからです。

これらの過程は
まさに、私たち自身の Re-Habilis(再び適する) です。

 

 

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