自分としては、当たり前だと思ってやってきたことが
実は、当たり前ではなかったんだ…と思わされることがよくあります(^^;
家族評価もその1つ。
一時期、インフォームドコンセントでも話題になった説明のありかた。
最近はあんまり話題にならないような気がしますが
こちらが言いたいことを(医学上言うべきことを)ただ言うだけで本当によいのか?
という問題提起がかつて為されていました。
退院支援も同じだと思うんです。
とりわけ、認知症のある方には「対応の工夫」がとても大切だから。
でも、いろいろなご家族がいらっしゃいます。
…療法士だっていろいろな療法士がいますけどね (^^;
老老介護、認認介護という言葉も耳にしますが
キーパーソンが高齢の方だって少なくありませんから、ご家族の介護力の評価は必須だと考えています。
せっかく入院して良くなって退院されるのですから
できるだけ長く家で暮らしていただきたい
良い状態が続いてほしい
そう思えば、ご本人だけでなく、ご家族(心理的環境)と家(物理的環境)の評価は必然です。
家庭訪問は相手のテリトリーに入ることですから、家屋構造だけでなくご家族の状況の理解も進みます。
(ご家族だって病院という場よりも自分の家のほうが話しやすくなることも多いようです)
そんなわけで退院前の訪問指導は必ず行くようにしています。
また、当院はご家族の面会が非常に多いので、ふだんからなるべく状態報告も含めて積極的に声をかけるようにしています。
そういった一連の過程を通して、ご家族のできること、苦手なことなどを把握していきます。
つまり、家族評価…家族の能力と困難と特性の把握に努めています。
ご家族に何をどこまでどんな風に伝えるか、ということは、すごく気をつけています。
在宅生活は長期戦ですから、続けられなければ意味がありません。
ご家族にはご家族の生活だってあります。
介護者が倒れたら在宅生活だって破綻してしまいます。
そのあたりを念頭において、家族評価をおこないます。
話をして「はい、わかりました」と言ったから、このご家族は大丈夫…というような判断はとてもできません(^^;
きちんと「行動」を確認しています。
複数の異なる種類と難易度も違う課題を依頼して、その結果を確認します。
大切なことは、どんな風に…という質的な評価です。
必要であれば、評価をより明確にしぼりこむために「やりとり」を「使う」こともしています。
つまり、対象者の評価をするために場面設定や課題の種類、難易度を工夫するということと同じことをしているのです。
「家族評価は難しい」「そんなのわからない」という声も聞きますが、判断の範囲を狭めることは十分に可能です。
ないものねだりはできない。
できないことを要請したってお互いに苦しくなるだけです。
それよりも、できることをお互い努力する。
できないことでどうしても必要なことは次善の策を考える。
対象者に対しても、ご家族に対しても、チームの仲間に対しても言えることです。
現状を把握することができて初めて適切な対応を考えることができます。
今、できることをする。
そこからスタートする。
そのために私たちができる工夫はいっぱいあります。
障害を抱えた方は
自身の暮らしを変えざるを得ません。
ご家族も今までの暮らしを変えることを否応なく要請されます。
私たちは…?
私たちだって、工夫する…ということを要請されているのだと感じています。
対象者へのリハがオーダーメイドであるなら
家族支援だってオーダーメイドのはず。
どちらも肝心なのは「評価」です。
「評価」があって初めて適切な支援を行うことができます。
私たちの仕事は
対象者を「診断」することではなく「暮らしの援助」であるように
ご家族の介護力を揶揄することではなく「援助」なのですから。
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