「あれ?立てた」3

体験を通して
「立てるようになるかも」
と実感していただけることが肝要と考えています。

例え、全介助の時からでも
「あれ?」「なんか違う」「楽に動けた」
という体験そのものがまず必要で
その蓄積をしていくと本当に変わってきます。

誤学習を長期間積み重ねてしまった方には
異なる身体の使い方を習得するまでには時間がかかりますが
その過程においても「エラーレスラーニング(誤りなし学習)」を
蓄積することが肝要です。

認知症のある方は体性感覚を通して感受することができます。
再生(自分から思い出す)できなくても
再認(正解を提示されれば思い出せる)できる方はとても多い。
特に体験を通して再認できる方は重度の認知症のある方でも大勢います。

身体に直接働きかけるADLの介助は
その都度再認という能力に働きかけられる貴重な場面
重度であるほど認知症のある方にとって重要な場面と言えます。

でも、実際は逆になって考えられていることがあるんじゃないかな?
「どうせわからないから」
って対応されてしまうことがあるのではないでしょうか?

そうすると
認知症のある方には
「立てない」と思われつつ介助されてるということが伝わり
立ち上がりの場面で
「あ、これは前も立てなかったことだ」と再認し
どう身体を動かしたら良いのかわからないまま動かされることに
頑張って力を入れて適応しようとして
(実際には誤介助誤学習となってしまっている)
結果として、「やっぱり立てない」という再確認にしかならない。。。

介助者も認知症のある方も
双方が「立てない」という認識を強化しあってしまう。。。

そんな現実から脱却していくためには
「エラーレスラーニング(誤りなし学習)」で
異なる体験に基づいた異なる認識を積み重ねることです。

「あれ?」
「立てるかも?」
「立てそう」
と感受しながら
「この前はラクだった」と再認しながら
「できるかも」を積み重ねていく。。。

その第一歩は
認知症のある方の能力を的確に見出すことができる、対人援助職の意思と洞察力です。

そして次に
どう身体を動かしたら良いのかを実地に伝えることができる
そして、動くだけの身体に変化させられる、対人援助職の技術です。

たった一人でも
そのような対人援助職がいれば
認知症のある方は、重度な方でも持っている能力に応じて変わります。

まずは
最初の一人になれるように。。。 

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