意図こそが重要

スティーブ・ジョブズの言葉に
「意図こそが重要」と言う言葉がある。

この言葉の意味を
その都度その都度何回もわかり直している。

認知症のある方への対応について
「援助」なのか、「使役」なのか、という違いはとても大きくて
にも関わらず、実は自覚されにくい。

例えば
入浴でもトイレでも誘導しようというときに拒否されてしまう
ということは、よくあります。

このときに
「誘導しようとしたら拒否されてしまった。
どうしたらいいだろう?」
と言う問いのカタチでは
「拒否されない誘導の方法は何があるだろう?」
というカタチで問いを重ねることになってしまいます。
これでは主語が私たちになってしまっています。

ここでもしも
「誘導しようとしたら、嫌!と言って顔を背けてしまった。
このときに何がこの方に起こっていたんだろう?」
というカタチの問いを立てれば
「何が嫌なんだろう?嫌でないことは何だろう?」
と次へ続けることのできる問いのカタチができます。
この問いは主語が認知症のある方になっています。

どっちだっておんなじじゃん。
とはならない。

意図は相手に伝わってしまう。
例え、明確に表現してもされなくても。
そして、その意図はその後の私たちの行動にも影響を与える。

拒否されないように。。。という観点を重視した関わり
認知症のある方が受け入れやすい方法を探るという観点を重視した関わり

援助なのか、使役なのか
容易にすり替わりがちだからこそ
気持ちだけでは防ぎにくいことだからこそ
意図的に気をつけなくてはならないと思う。

言葉で「認知症のある方に寄り添ったケアをします」
と宣言することも大切かもしれないけれど
個々の実践において「寄り添ったケア」という理想に合致しているかどうか
具体的に検討するとともに
予防できるものは予防していくために
気をつけ方の言語化が必要なのではないかと考えています。

<お詫び>
今回の一連の記事において
誤解を招きかねない表現をしてしまったために記事を削除いたしました。
ここに深くお詫び申し上げます。 

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