私は認知症のある方の
援助がしたいんであって
controlがしたいわけじゃない。
混乱している方に対して
混乱しないように静かにさせたいんじゃなくて
混乱していることを困っていることをそのとおり表現できるように
援助したい。できるようになりたいと考えています。
圧倒的に臨床で多いアルツハイマー型認知症のある方の場合に
混乱がひどくなると
何に混乱しているのかもわからなくなってしまって
助けてほしいのに、介入そのものが刺激となってしまって
悪循環になってしまう。そういうケースがとても多いと感じています。
でも、そのような場合でも
バリデーションをすることによって
表情が変わり、コミュニケーションがとれるようになり
今、何が辛いのか、何が嫌なのか
明確に表現できるようになることがとても多かったりもします。
表現された感情は
分かち合うことができる。
その過程において
結果として混乱や大声は解消されていく。
解消が先じゃない。
表現と分かち合いの方が先。
だからこそ、ご本人も辛いけど
だからこそ、今が大事
今ならまだ向き合うことの援助ができる
こんな時
バリデーションを学べてよかった
と心底思う。
バリデーションはツールだから万能ではないけれど
学ぶに値すると感じています。
バリデーションを学んでいなかったら
仕事が辛くて辛くてたまらなかったと思う。
援助とcontrolを取り違えたまま認知症のある方に対応しなくてすむし
なんといっても、バリデーションの根幹にあるのは
信頼なんだもの。
認知症のある方への信頼。
私たち自身への信頼。
食べられる能力をもっているのに
知識と技術がないために
結果として不適切な食事介助をしてしまい
そのために結果として認知症のある方が自らの食べ方を落としてしまう。。。
誤介助誤学習が起こるのと
まったく同じことが違うカタチで現れている。
辛さや困難さなどの感情を自覚し表現する能力をもっているのに
適切に表現を促す知識と技術をもっていないがために
結果として表現を抑圧してしまい、結果としてより大きな混乱を招いてしまう。。。
私がしていることは
今は小さな実践だけれど、未来につながってもいる。
確信している。
食事介助に関して25年以上言い続けてきて
研修会というカタチにもなったし
本というカタチにもなった。
今はまだ小さな声だけど
本当に意味のあることならば
本当に有効なことならば
将来必ずや他者に伝わり広がっていく。
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