ハリー・スタック・サリヴァンという精神科医の言葉で
「関与しながらの観察」という言葉があります。
この言葉の重みを感じる今日この頃ですが
最近、意味をもう一段深く理解できるような体験が続いています。
関与できたことしか観察できない
関与できないことは観察できない
関与できるから観察できる
だから関与しながらの観察が重要
例えば
認知症で意思疎通曖昧な方の口腔ケアを行う時に
その方の能力がわからないと適切な関わり方ができないので
口腔ケアを行うことがとても難しくなってしまいます。
仮に
開口してもらえたとして
硬口蓋(舌先で触れる上の顎の部分)に
白色の乾いた痰が付着していることが見えたとしても
実際に口腔ケアをしてみると
上の歯の裏側には茶褐色に変色した乾いた痰を拭い取れたりする。
口の中を見ることができなければ
硬口蓋に付着した白色の乾いた痰が付着していることを見られない
実際に口腔ケアができなければ
歯の裏側に付着した茶褐色の乾いた痰が付着していることを見られない
開口してもらえるような関わり方ができて初めて
硬口蓋に付着した痰を見ることができる
例え、開口してもらえたとしても
口腔ケアに協力してもらえるような関わり方ができなければ
硬口蓋に付着した痰を見ることができても
歯の裏側に付着した痰を見る、存在を知ることができない
実際には存在しているけれど、自分が知らない、見えないのと
実際に存在していないのとでは、全く違う
自分の関わり方、知識と技術の深度に応じて
その方の状態の見え方が異なってくる
口腔ケアは、
結果が明白だから、とてもわかりやすいけれど
同じことが違うカタチでいろいろな場面で現れているのだと実感しています。
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