私たちが理想とするケアの理念をどうやったら具現化できるのか
まさしく今後問われてくる課題だと考えています。
認知症の普及啓蒙が進めば進むほど
理念と現実との狭間に直面する機会が増えてくる
こういう課題は
抽象的に考えても答えは出ない。
正確に言うと
抽象的に考えても日々の実践に役立つ「具現化の方法」は出てこない。
日々の実践の場において
理念と実践の照合をその都度行うといった
気の遠くなるような地道な作業を一人一人が行っていき
そこから得られた知見の検証から始めるしかないと考えています。
その過程において
目からウロコのような発見があったり
先人が語っていた言葉を深く再認識できるような体験があったりするのだと思う。
私はかつて
とても苦しい日々を送っていたことがあります。
自分の中で、常識的一般的なケアの対応では
どう考えてもケアの理念に反するとしか感じられなかった時
自分としては、そんな対応はもうイヤだと感じた時
バリデーションに出会うことができて本当によかったと思う。
「帰りたい」と言う方の気持ちをどんな風に聴いたら良いのか
ゴールはまだまだ遠いけれど、スタートラインに立つことはできたし
とにもかくにも、スタートを切ることはできるようになった。
でも、バリデーション創始者のナオミ・フェイルが言ったように
「バリデーションは万能ではない」
認知症には様々な生活障害があり、様々なBPSDがある。
なぜ、バリデーションを通して
「語る」ことで「帰りたい」と言う気持ちが解消されるのか
なぜ、BPSDは出る人と出ない人がいるのか
理念と実践の照合を繰り返すと
理解や認識、発見が深まっていく。
(そう言う意味で大切なのはPDCAを回すこと。一番大切なのは「C」を疎かにしないこと)
作業療法の「体験」の意味がもう一段深く理解できるようになっていく。
耳に心地の良い言葉やギョーカイに深く浸透している言葉(概念)って検証されにくいものですが、
案外表面的に見えることに過ぎない理解、入り口でしかない理解って多々あるように感じています。
理念と実践が乖離しているとしたら
どちらかが間違っている。
「認知症のある方に寄り添ったケア」と言う理念が間違っているとは考えられない。
だとしたら、実践がどこかでズレている。
だとしたら、そのズレを修正すれば良いだけだと考えています。
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