「変化は辺縁から起こる」
誰の言葉か忘れてしまったけれど
ずっと胸に残っている言葉です。
どんな世界にも流行り廃りがあって
えてして、ついうっかりと、その時々の流行りゴトに乗っかりたくなるものだし
また、乗っかることを要請されもするけれど
ものすごく流行るコトって廃れるのも早い。
リハの世界にだって流行りゴトはある。
認知症のある方への対応にだって流行りゴトはある。
流行りゴトが無意味だとは思えない。
流行るには相応の理由があるし、部分的には意義がある。
そこを検討されずに全肯定、全否定となる風潮や
対象は異なれど同じことを繰り返してしまう私たち自身の在りようが問題なのだと感じています。
一方で本質・真実は時代を超え、地域を超え、伝えられていくものだと思う。
たとえ、萌芽期においては認められなくとも。
それは歴史が証明している。
認められないどころか、迫害されてきた。
ガリレオ然り、小笠原登然り。
でも時代が彼らの主張に追いついた。
今は彼らの主張の方が常識となっている。
正邪や常識といったものさしは
時代により地域により異なるし変わるもの。
その前提を忘れてはいけないと常々思う。
私たちは「正しい」ことを為すのではなく
目の前にいる方にとって「適切な」ことを為すのが仕事。
その時々の流行りゴトの世界に身を置いてしまうと
真贋を見極める眼を涵養することが叶わなくなってしまう。
「変化は辺縁から起こる」
これからの未来を背負って立つ若い人には
流行りゴトや声の大きさに惑わされることなく
真贋を見極める眼を涵養していってほしいと切に願っています。
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