「日本には物事を抽象化してしまうマジックワードがあって」
その通りだと思う。
とても興味深く読みました。
「決まらないシュートは打たない」、同志社大が示した思考のアップセット
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ichiroozawa/20160412-00056525/
そうか、OBの中西哲生が関わっていたんだ。
耳に優しい、インパクトのあるマジックワードの持つ力は強くて
聞く人を思考停止に陥らせてしまう。
たとえば
「認知症のある方に寄り添ったケア」
「認知症のある方の思いを大切にする」
言葉としては本当に大切な概念だと思う。
でも
この概念とふだんの実践をどうやって照合して改善していくのか
突き詰めて議論、検討されていると言えるだろうか?
という疑問を抱いています。
どういうことが
寄り添ったケアで
どういうことは
寄り添ってないケアなのか
寄り添ってないケアは簡単に言えるかもしれないけれど
寄り添ったケア…って何なのか
迎合とは、どう違うのか
気持ちはわかるけど
他者との関係性において容認できない言動に遭遇した時に
どうするのが寄り添ったケアなのか
その他にも
援助と使役は紙一重ということを
もうさんざん考えさせられてきた私としては
マジックワードは安易には使えない言葉になっています。
マジックワードを唱えていても
現実を改善することはできない。
中西哲生と同志社大が試みていることは
現実を改善するための具体的な手だてであり
その手だてを支える理論と現実化するためのトレーニングを
徹底して実践しているのだと思った。
その挑戦が問いかけているのは
サッカーの世界だけに限ったことではないと思った。
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