たとえばの誤解 3

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一生懸命な人ほど辛い気持ちになることが多いと思う。
「自分1人が頑張ったって。。。」

その気持ちは本当によくわかる。
かつて私も幾度そのような気持ちを抱いたことか。

でも決してそうじゃない。

自分1人でも頑張ることは
「対象者にとって」世界が変わるに等しいこと。
文字通りの意味でそうなんです。
ICFに依って立てば。

認知症のある方は能力があるからこそ
結果として不合理な言動に至ってしまう。
自分1人であっても
本当に適切な関わりができれば
(本当に的確な評価ができていれば)
認知症のある方に行動変容が起こる。
行動変容に至った認知症のある方の言動が
今度は周囲の他者へも行動変容を結果として促していく。

だから
まずは、自分がいかに的確に評価・関与できるか
そっちを追求していくことが肝心なんだよね。

本当に
自分1人であったとしても
認知症のある方には行動変容が起こる。

1人より2人、2人より3人の方が
より早く明確に行動変容が起こるけど
それは、最初の1人がいて初めて言えること。

認知症のある方は
それだけの能力をもっている。
ただ自分1人では
もっている能力を合理的に発揮できないだけ。 

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