個々の機能を別々にとらえているだけでは
改善へのきっかけがつかみにくくなってしまいます。
遊び食べをする
…という「結果として表面にあらわれている」ことの中には
たとえば
綺麗好きで口のまわりがちょっとでも汚れたり
食べこぼしたものがちょっとでもあると
すぐに手でぬぐおうとしたり
なんとかスプーンですくおうとして
適切に巧みに手指を動かすことができずに
かえって汚れてしまう
最初はその汚れをなんとかしようとしていたのに
いつのまにか、動作の目的を忘れてしまって
同じ動きを繰り返す…という場合もあります。
手遊びするから、とすぐに全介助と対応方法を決めるのではなくて
「何が起こっていたのか」
をきちんと観察することで
綺麗好きであるとか、食べこぼしを気にする人という
能力や特性をとらえることもできるし
上肢の操作性や手指の協調性が低下しているという困難も把握でき
手遊びのきっかけを作らないですむように
汚れたらすぐに介助者がふきとる…とか
食べこぼさないですむように
スプーンや食器やトレーに工夫をしてみる…などという
具体的現実的に対応の工夫ができるようになります。
私たちは
すぐに『どうしたらいいのか』という対応を求めてしまいがちですが
『何が起こっていたのか』という現実の中に
解決へのヒントも含まれているように感じています。
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