【在学生】第29回 “理由”は学校で見つけた

【在学生】 第29回 “理由”は学校で見つけた 「“理由”は学校で見つけた」

 人は朝起きてから、夜眠りに就くまでいくつの作業を行っているでしょうか。
 ある主婦は、いつもの時間になっても起きてこない娘を起こすために、二階の子供部屋に行き、布団を剥ぎ取ります。
 ある大学生は、寮生活で身につけた分厚い肥やしを燃焼させるために、4限が終わればすぐに、グラウンドに向かってサークル活動を楽しみます。
 あるおばあさんは、健康のために誰よりも早起きをしてラジオ体操をしてから、亡きおじいさんの前でのお経を上げます。

 ある授業で、こんな些細な毎日は、小さな作業の連続で生まれているということに気づきました。作業の連続によって毎日は生まれ、そんな毎日の繰り返しと、できるならばなくなってほしいと願う「テスト」や毎日でも嬉しい「友達との旅行」などのイベントがたまにあって、日常を彩るのだということを。
 
 しかし、病気になったり、ケガをしたりすると、どうでしょうか。この変哲もない当たり前の日常が送れなくなってしまうのです。思うように身体を動かせなかったり、思うように力が入らなかったり、触っているはずなのに何も感じられなかったり…と。今まで毎日のように繰り返していた作業の連続が断たれてしまうのです。
 さらに、ある主婦は、家族ためにご飯が作れなくなり、母親としての仕事を果たせず、悔しい気持ちを抱いたり、家族の健康を心配したり、今後どうすればいいかと不安になったりするかもしれません。身体の障害とともに、こころは突然の変化に驚き、戸惑いうまく現実を受け入れられないでしょう。この状態では不安や心配事が多くて、落ち着いてリハビリに参加できないかもしれません。リハビリをしたいという気持ちもモチベーションも上がらないかもしれません。

 このように、人は身体とこころがひとつになった生き物なのだと思うのです。授業では身体障害領域、精神障害領域とそれぞれ学びますが、学べば学ぶほど、作業療法の対象となる「人」は身体・精神と分けられるようなものではないのではない強く感じます。

 作業療法の魅力のひとつは「こころ」と「からだ」をひとつとして、患者さんにアプローチができることだと思います。
 もうひとつは、より患者さんの生活に寄り添ったアプローチができることだと思います。
 料理を作ることがある主婦にとっての生きがいであるならば、料理が楽にできる身体の使い方を教えたり、少しの力で動かせるようになる道具を紹介したりできるのです。病前と同じような動きはできないかもしれませんが、家族へ料理を振る舞うことができようになるかもしれません。

 私事ではありますが、正直に言うと、小さい頃からずっと作業療法士に憧れていたわけではありません。明確に作業療法士になりたい理由があったわけでもありませんでした。
 しかし、学校で友人と出会い、たくさんの先生方と出会い、学校に通うために親元を離れ家族の温かさを知り、実習地で指導者さんや患者さんと出会い、やっと作業療法士の魅力を自分なりに見つけ、「作業療法士になりたい」理由を見つけることができました。

 私の大学生活は残すところ身体・精神障害領域のインターン実習のみとなりました。授業を終えてみると、学校の先生方や外部の先生方から上記のことを学びました。医者や看護師、理学療法士に負けず劣らず「やっぱり作業療法ってすごいじゃん」と強く思います。
 しかし、いざ実習となると、患者さんを評価することでいっぱいになったり、その患者さん「らしさ」を忘れてしまったり、ついつい身体機能に目がいってしまいました。作業療法らしさってなんだろうと悩むこともありました。これは、今後のインターン実習でも葛藤することになるかもしれませんが、作業療法らしさを忘れずに、実習に臨みたいと思います。

同じカテゴリーの記事:在校生からメッセージ

Permanent link to this article: https://kana-ot.jp/wpm/essay/post/223