【若手】No.16 自分の進路が辛路でも信路なら真路である

自分の進路が辛路でも信路なら真路である 皆さん、はじめまして。私は通所リハビリで働く2年目になるOTRです。

 私と作業療法との出会いは、高校の進路指導室でした。
 「将来、人と関わる仕事がしたい」、「老後の生活を豊かになるお手伝いをしたい」という思いを漠然と持っていました。そう思ったのは、祖父が亡くなってすぐのことでした。祖父はリウマチとパーキンソン病を患っていました。田舎にいたため会える機会が少なく、亡くなった時に、「何でもっとしてあげられなかったのだろう」、「遠くにいても私に何かできたかも…」と強く思いました。
 進路指導室で、たまたま手にした本に「作業療法士」が載っており、その職業の可能性に惹かれ、受験勉強を始めました。

 大学に合格して、「夢だった女子大生生活が始まる~!バイトもして、遊んで…!」とウキウキしていたのですが、びっくりするくらいの課題やレポートの多さや忙しさに挫折することも何度かありました。
 また他の一般大学の友達が羨ましくなった時もありましたが、作業療法を勉強しに来たんだという初心を思い出したり、クラスのみんなに相談したり、支えあいながら勉強を続けてきました。

 そして、学生生活の最大の山場、臨床実習では臨床の場に出るという不安や緊張、自分の出来なさが悔しくて、涙を出し切ったというくらい泣いていました。そこでも挫折してもう辞めようかと何度も思いましたが、これは自分を見つめ直すいいチャンスだ、失敗や辛い時にどう自分は行動するだろうと自己分析をする良い機会でした。
 また、タイトルの言葉は実習前に大学の仲間にもらった言葉です。進路を信じて、4年間苦楽を共にした仲間に支えられながら乗り越えられました。また、人としても尊敬できるスーパーバイザーにも出会えて、私もスーパーバイザーのようなカッコイイOTRになってやる!!と実習の最後には思い、早く働きたいと思うようにまでなりました。

 国家試験は実習が12月末に終わり、実質2カ月しか受験勉強した期間はなかったです。私は朝型なので、早起きして勉強して学校に行ってみんなと同じ教室で勉強していました。
 また友達同士で問題を作りあって、質問したり、教えあったりということをしていました。実際短期間でキツかったですが、無事合格することができました!

 今は2年目になりました。卒後すぐに通所リハビリで働いているのですが、私は地域で有名人になりたいというひそかな夢があって、街を歩いていたら地域の皆様にお声をかけていただき、皆様に必要とされるOTを目指しています。
 OTは色んな可能性がある職業だと思います。色んなOTの形があっても良いと思います。OTを目指している皆さん、一緒に自分に合ったOTを探してみませんか?

(2007年3月,神奈川県内の養成施設を卒業)

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