【中堅】作業療法士になって良かった。 片岡直人OTR

【中堅】作業療法士になって良かった。 片岡直人OTR片岡直人OTR(新戸塚病院)

 原稿の依頼を頂きしばらくたってしまいました。目的は作業療法士を目指す人、または若手作業療法士にあてたメッセージ。自分の経歴を簡単にお話ししながら、なるべくご期待に沿えるよう頑張ります。

 私は作業療法士になる前、12年ほど電気設備のエンジニアをやっていました。転職の理由は割愛しますが、看護師、理学療法士、作業療法士を検討した中で作業療法士を選びました。理由は簡単に言うと12年の会社員生活が仕事に活かせると思ったからです。
 実際、人生経験は作業療法を実践する上で自己の治療的応用という面でメリットになることもあり、作業療法士になって良かったと思います。社会人から作業療法士を目指す方、安心して下さい。間違ってませんよ。

 4年制の専門学校を卒業したあと、年齢的なハンデを少しでも解消するために大学院に進学(箔をつけたかったのです)。介護施設の非常勤(しかもOT一人職場)を2か所掛け持ちして学費を稼ぎながら、命からがら何とか大学院を修了。今の職場に入職しました。
 大学院を修了したあと、卒業旅行がてら鹿児島大学霧島リハビリテーションセンターに促通反復療法の研修を受けに行きました。片麻痺の機能訓練として促通反復療法以下川平法は画期的な手技だと感じたからです。バリバリ医療モデルまっしぐらのOTになっていきます。

 入職一年後、新戸塚病院で川平法による脳卒中片麻痺患者に上肢機能訓練の外来をすることになり、私はその外来を担当することになりました。そしてちょうどその年、当時自衛隊中央病院に勤務されていた現湘南医療大学教授の田邊先生主催のCIセラピー研修を受けました。そこで目からうろこが落ちたのです。

 それまでは訓練場面で即時効果を出すことに重きを置いたリハビリを行っていました。しかしそれではだめなことをその研修会で思い知らされました。訓練場面で得られた効果を日常生活場面に汎化させることが出来なければ意味がないのです。何故なら日常生活で麻痺手を使わなければ、向上した機能はすぐに元に戻ってしまいます。それからは、川平法の訓練にCIセラピーの最も重要なコンポーネントの一つであるトランスファーパッケージ、課題指向型訓練を併用しました。

 現在外来を担当して6年目になりました。その間200人あまりのクライエントと関わりましたが、良いリハビリができたと思えるのは訓練効果を日常生活に汎化させ、更には自分がやりたいことが実現したり、喪失していた役割を再獲得できた事例です。機能が回復した手で、趣味である釣りで両手で針に餌をつけられるようになったり、両手で洗い物ができるようになり、主婦としての役割を再獲得したり。また、それらの中には機能回復が得られなくとも、環境設定にて目的を達成できた事例もあります。電動車いすを使うことで好きな映画を一人で見に行けるようになったり、L字包丁を使うことで両手で野菜を切れるようになったり。当たり前ですが、機能回復だけが目的達成の手段ではないしことをつくづく感じさせられました。むしろそれが作業療法の醍醐味だとも思うようになりました。

 「人は作業をすることで元気になれる」日本作業療法士協会のキャッチコピーですが、言い得て妙だと思います。昨年から神奈川県作業療法士会の地域包括システム推進委員として活動しています。派遣された介護予防の現場で地域住民の皆さんに、「人は好きな作業をすることが出来るようになれば、どんどん元気になっていきます。その作業を実現させることに焦点を当てながら、考えうるありとあらゆることを行うことが作業療法士の仕事です」と説明しています。介護予防教室に参加されている皆さんはお元気な方が多いのですが、皆さん「老い」というものに恐怖感をもっています。その場で「年を取ろうと、障害があろうと好きな作業をすれば元気になれます」とお伝えすると、皆さん前向きな気持ちになって頂けるように思います。ちなみに私にとっての好きな作業は、トライアスロンです。

 私はつまるところ、リハビリは心身機能の廃用との戦いだとおもっています。体や心を錆びつかせないためには、好きな作業をすることが一番だと考えます。作業療法士がゴッドハンドになる必要はまったくありません。

 最後にもう一度、私は作業療法士になって良かったと思います。私は作業に焦点をあてることの大切さに気付くまでに時間がかかってしまいました。でも回り道も無駄ではなかったと思います。どんな経験も作業療法を実践する糧になると思うからです。このような前向きな考え方が出来るようになったのも作業療法士になったからこそだと思います。これからも精進していきますのでどこかでお会いした時には宜しくお願いします。

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