Category: 大草原の小さな私

155号:第8回 種を蒔く

執筆者近景

種を蒔く

 ウランバートルは都会である。そんな中で朝から夕まで週5日、病院で仕事をしていると、日本にいるような錯覚に陥る。そして、「あれ?私はどうしてここにいるんだっけ?」と余計なことを考えてしまう。私が抱いていたボランティア像と現状は大きくかけ離れている気がする。これならわざわざモンゴルまで来なくても、日本で働いていた時と大差ないじゃないか!と。もちろん、モンゴルに少しでも役に立っていればいいじゃないかという気持ちもあるけれど、本来自分がやりたかったことだってやりたいし、成長したい!という思いもある。

 もともと、協力隊を受験する時の希望は、小規模の地域、グループに深く入り込んで活動をすることだった。なぜなら、なによりそういう活動に興味があったし、何かのプロジェクトの一員として動くならまだしも、一人のボランンティアで、期間は2年という条件付きではできることは限られているので、自分の力がより発揮しやすいのは小規模グループの中だろうという考えもあったからだ。現在私が働いているような国立の大規模な機関などは、例えば病院なら院長や科長、学校なら校長のような、そこでの権力者が援助の必要性を感じてボランティアを要請していることも多い。だから、実際活動を始めると、科長からの希望は出てくるけれど、実際に現場で働いている人たち本人からの希望はあまり出てこなかったりする。私の配属先でもその傾向はあり、現場で働いている人は受け身的である。私の胸の中では不協和音が消えない感じがある。それが悪いと言っているわけではないし、何かのきっかけでそれが変わる可能性もあるとも思う。そして、今の病院がつまらないというわけではなく、病院でもやりたいことはたくさんある。マンパワーとなりつつ、OTとは何かをスタッフや学生に伝達し、技術移転、定期勉強会、ホームプログラムの作成もしたい。この中から開始しているものもあるけど、どう展開して、どう根づかせるか。これは長期戦でやって行きたいと思っている。

 一方で、やっぱり地域に根差すような活動もどうしてもやりたい。地域で当事者が自ら必要だと感じて作られた団体は、もともと意識も高い。自ら、こちらへどんどんコンタクトもとってくるし、要望も明確、一緒に活動していて楽しい。

 モンゴルに来てから、ソーシャルワーカーや養護等の関連分野のボランティア、日本の柔道整復師の方たち(モンゴルには日本柔道整復師会が会のプロジェクトとして積極的に関わっている)、モンゴルのPTの学生などと関わるようにし、セミナーやイベントにはなるべく顔を出し、種を蒔いている。まずは、モンゴルの社会資源を制度や公的機関はもちろんNGO、NPOなどの団体を含め、把握していっている段階。そんな中、先週、障害者の親の会の方から一件、訪問で養護教育をやっている方から一件、二件の電話。少し蒔いた種から芽がでようとし始めている予感です。

 今、モンゴルにいるリハビリ関連職はPTだけ。養成校もPTだけ。やっぱり、モンゴルにもOTが必要!って思ってもらいたい。みなさん、モンゴルに遊びに来てくださいね!OTの種を蒔きましょう!

おまけ:モンゴル語のあいさつ

サイハン アムラーラーイ!
おやすみなさい、よく休んでね、の意味。気遣いの言葉です。今日のリハビリ、ちょっとハードだったかな?って時なんかにも。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 川島(旧姓 堤)由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後作業療法士資格を取得し、都内の病院へ3年間勤務する。平成23年9月より協力隊員としてモンゴルに赴任。現在、首都ウランバートルの国立外傷センターにてPT隊員と共に活動中。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。その主な目的は、(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与、(2)友好親善・相互理解の深化、(3)ボランティア経験の社会還元です。(JICAホームページより)

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154号:第7回 ここで働いてます!

執筆者近景

国立外傷センター

 最初に来た時は、不安を覚えすごく古く見えた建物も設備も、3カ月を過ぎ慣れてきたのか、アットホームな「私の病院」という感覚になっている。

 私の働く外傷センターは、国の外傷関係の治療の殆どを担っている外傷関係の中では一番大きな病院だ。リハビリ科もその中にある。また、研究機能、学生の研修機能も併せ持つ。

 実はモンゴルでは、3年前に、看護学校に付属した理学療法士科が開設され、ちょうど去年(2011年)の9月に初の卒業生が誕生した。とはいえ、人数は少ないし、さらに卒業生の大半が国立第一病院というところで働いており、リハビリ専門職がいないところが殆どだ。私の病院にもモンゴル人のPTはいない。ましてやOTとなると…。ただし、モンゴルにはリハビリという概念は入っていて、リハビリ専門医もいる。彼らは、OTというものを知っており、その役割や重要性を認めてくれている。そういう意味では、活動しやすい国ではある。   

 ただ、リハビリの概念が狭く、OTの捉え方も障害の捉え方も狭くなっている。また、現在、リハビリスタッフとしてリハビリを担っているのは看護師であり、彼らの知識はまちまちだ。

 このような環境の中で、今、私が何をしているか。まずは、モンゴルに慣れるために同じリハビリ室で働く。なんでもする。そして、モンゴル語で話し、モンゴル料理を食べる。

 モンゴルでは、各科の医師から紹介された患者をリハビリ医が見て処方を出すというしくみになっている。私の活動先は病院なので、患者さんは待ってくれない。次々と来る。働き始めてから1週間も経たない内にリハビリ処方が出たので、身振り、手振り、写真や例を多用しながらどうにか治療をやった。それ以来、院内リハに明け暮れる日々が続いている。最初は、モンゴル医療の理解とマンパワーから始めようと思う。

 モンゴル人は、最初からフレンドリーに接してくる人は少なく、あいさつもしない人も多い。最初は、居場所が無いように感じた時期もあった。私が任期を予定より3カ月遅らせたこともあり、3カ月前に来たPTはすごく眩しく見えた。それでも、私たちの仕事ってやっぱりいいなと感じたのは自分の技術を見せれるということ。患者さんがよくなっていくとスタッフの見る目が変わる。これからまだまだ先は長い。どんなことが起こるのか楽しみだ。モンゴル語も日々上達し、どうにか患者さんに重要なことくらいは伝えられるようになってきた。今日も、一歩一歩進みます。

おまけ:モンゴル語のあいさつ

バヤルラッラー
「ありがとう」の意。しかし、日本人には発音が非常に難しく、私も未だに正確には発音できない。モンゴルでの語学訓練の際、同期の協力隊員と共に何度も発音練習させられた思い出の一言でもある。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 川島(旧姓 堤)由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得し、都内の病院へ3年間勤務する。平成23年9月より協力隊員としてモンゴルに赴任。現在、首都ウランバートルの国立外傷病院にてPT隊員と共に活動中。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。その主な目的は、(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与、(2)友好親善・相互理解の深化、(3)ボランティア経験の社会還元です。(JICAホームページより)

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153号:第6回 モンゴルの基礎情報と私が感じたモンゴル

執筆者近景 現地語学訓練を終え、とうとう仕事が始まった。今回は、私がこれから働く国モンゴルと、配属先の病院、そこで求められている活動についてちょっとだけご紹介。

モンゴル

 モンゴルと言えば?モンゴルに行くことが決まった約1年前、私がモンゴルに抱いていたイメージ、それは、草原、遊牧民、そして、…。それ以上はいくら考えても出てこなかった。周囲の人に聞いても、だいたいみんな似たり寄ったりで、相撲やゲル(円形のテントのような住宅)が加わった程度。TVで、マンホールチルドレン(マンホール生活をするストリートチルドレン)なるものを見たという人もいたけど、それも数年前の話で現在はどうなのだろうか。

 まず、モンゴルの基礎情報はというと、正式名称はモンゴル国。国土の面積は約156万4千㎢で日本の約4倍。人口は約278万人(2010年)で、国土面積を考えると非常に少ない。首都ウランバートル(以下UB)の人口は約115万人で、約40%の人口が首都に集中している。民族は約95%がモンゴル人でその他カザフ族などの少数民族もいる。言語はモンゴル語、宗教はチベット仏教。1992年に民主化し、大統領制へ移行。民主化以降、経済は壊滅的状況に追い込まれたが、近年は豊かな鉱物資源等を背景に経済成長が著しい。失業率約3.7%(2010年)と単純に数値だけで比較すれば、日本よりも失業率は低い。

 実際に、来てみてどうだったか。UBは、高層ビルの建設ラッシュ。道には高級車も多く走っている。現在は、年末パーティーシーズンであり、街中はプレゼントや衣装、きらびやかな電飾であふれている。何だか勢いがある国なのだ。物価上昇も著しく、正直、私のお財布は苦しいです…。年末のパーティー代として配属先から徴収された金額は私の1カ月分の昼食代と同じ額で、びっくりして目の玉が飛び出て落っこちそうたったほど。羽振りいいなあ、と思ってしまう。マンホールチルドレンは?周囲のモンゴル人に聞いてみると、消えてしまったとのこと。
 しかし、経済が急成長しているモンゴルでも経済格差は大きい問題となっており、マンホールチルドレンは未だいなくなってはいないという記載もある。とはいえ、様々な国内外による対策により激減したことは確かなようだ。私の行動範囲が限定的なことも関係あるだろうけども、今のところ私は全く目にしてない。モンゴルへ来てから間もないため、解らないことも多いが、これが私が今、直に感じているモンゴル。これから、少しずつモンゴルのことを紹介していけたらなあ、と思う。

国立外傷病院(配属先)

 病院と研修センター機能を持つ外傷・整形治療の病院として設立され、手術科、リハビリ科、トレーニング研究科等10科併設。病院全体の年間患者数は約6千~8千人、400床。リハビリ科には医師4名、看護師10名が在籍。看護師による物理療法や運動療法が行われている。

 病院では、事故等による治療のため、頻繁に手術が行われている。しかし、術後の症状に合わせた適切なリハビリテーションが行われていないために運動機能に障害が残る患者が出ているのが現状だ。そのため、理学・作業療法による専門的な治療・訓練が必要とされる。
 しかし、現在、モンゴルでは、それらに関する専門家の数や技術が十分ではない。私に求められるのは、スタッフの専門的知識・技術向上のため、協働しながら技術移転することだ。現在、JICAからはPTも派遣されており、協力しながら活動を進めている。詳細は、また次号以降でゆっくりと!

おまけ:モンゴル語のあいさつ

サインバイノー
直訳すると、「ごきげんいかが?」転じて、「こんにちは」。昼夜問わず使える。
あいさつへの返礼は「サイン!(いい感じ)」と。その後、こちらからも「サインバイノー」。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得し、都内の病院へ3年間勤務する。平成23年9月より協力隊員としてモンゴルに赴任。現在、首都ウランバートルの国立外傷病院にて活動中。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。その主な目的は、(1)開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与、(2)友好親善・相互理解の深化、(3)ボランティア経験の社会還元です。(JICAホームページより)

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152号:第5回 モンゴルでの活動開始

執筆者近景 やっと、モンゴルに来ました!1年半前の春に受験し、その後合格してからもモンゴルへの道は思いの外遠かった。しかし、今、モンゴルの地を踏んでいる。やっとスタートに立てた気持ちでいる。

 モンゴルでは国立外傷病院というところで主に活動することになっている。しかし、現在は病院での活動はまだ始まっておらず、モンゴルに「慣れる」時期として日々を過ごしている。
 通常、着任後1カ月ほどは、午前中に現地の語学学校に通い、午後は各協力隊員の所属する省庁や配属先に表敬訪問したり、その国でJICAが関わっているプロジェクトの視察などを行う。

 先日は、「ゲル地区生活環境改善計画」事業(日本政府の資金供与)というプロジェクトを視察した。「ゲル」とは、テントのようなモンゴル流住居のことである。
 近年、モンゴルでは深刻な雪害や移住の自由化により、草原での牧畜生活を捨てて首都に移住する人々が急増し、首都ウランバートルの人口は急激に増加したという。
 これらの移住者は、政府にあてがわれた都市周辺地域の敷地を柵で囲い、そこにゲルや簡易な家を建てて住んでおり、このような地域は「ゲル地区」とよばれている。ウランバートルでは中心部の高層住宅群を取り囲むように、この「ゲル地区」が広がっている。ゲル地区では、上下水、道路、学校などの基礎インフラの未整備が最も深刻な問題となっており、JICAは、このゲル地区のインフラやコミュニティーの整備を国連関連団体(UN Habitat)と協力して行っている。

152号:第5回 モンゴルでの活動開始

ゲル地区の道:以前は未舗装で、階段もなかった。子供でもその道をタンクに入れた水を引いて登らなければならなかった。

 例えば、写真の斜面にある道は以前は十分舗装されておらず、階段も無かった。特に冬場は滑り易いため住民のけがが多く、骨折することもあったという。モンゴルでは骨折の整復不良やリハビリが不十分であることから後遺症が残りやすいという。
 骨折、外傷の治療技術を向上させることも重要であり、今回の私の活動ではその点が求められている。しかし、予防として基本的な環境を整備することも欠かせない。様々な活動が関連しあって成果を高めていくことができる。

 活動を円滑にするためにも、少しずつモンゴルのことを知っていくことが大切だ。モンゴルにはたくさんの迷信や慣習が残っている。
 最近、他の協力隊員から聞いた慣習をひとつ。「目にゴミが入ってしまった人が、目を指で大きく開いて、何とも言えない声を出していた。どうやら目から息を出そうとしていたようだった。成人でもそうするのかはわからないが、少なくとも15歳くらいの子はやっていた」とのこと。かわいいなぁと、思わずほほえんでしまうエピソードだった。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得し、都内の病院へ3年間勤務する。平成23年3月退職し、7月から約2カ月の訓練を経て、9月より協力隊員としてモンゴルに赴任。モンゴル国立外傷病院にて活動予定。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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151号:第4回 OTを知ってもらおう!

執筆者近景 平成23年8月現在、私は大阪にあるJICA大阪という研修施設で、青年海外協力隊の派遣前訓練を受けている。
 派遣前訓練とは、任国へ行く直前にJICAボランティアに義務づけられている65日間の訓練であり、第一の目的は派遣国の言語を覚えるということ。その他にも、派遣される立場としてのルールの理解、任国の理解や任地での活動に役立つ実践的な練習など、様々な訓練要素を含んでいる。
 毎朝7時のラジオ体操から始まり、夕方までびっちり組まれている語学と国際協力に関わる講座をこなし、さらに宿題やテストなどもある。

 訓練所では様々な職種や技術を持った人が集まって共同生活をしている。小学校教諭、PCインストラクター、服飾デザインといった多様な職種の約120名のボランティアが参加している。
 知り合ったばかりの頃は、「あなたの職種は何?」という話になるのだが、そう聞かれて作業療法士だということを伝えても、「ふーん…。それで、作業療法士って何をするの?」という返答も少なくない。「作業って、土木?」という質問もある始末。作業療法について口頭で説明はするものの、なかなかピンとこない人も多いようだった。OTは医療・福祉畑以外の人にはまだまだ馴染みが薄いのを実感した。

151号:第4回 OTを知ってもらおう!

OTの協力隊員が集まり、腰痛についての講座企画をしている様子

 そんな中、栄養士とOTの協力隊員が合同で「栄養管理と腰痛への対処」について講座を開催することになった。訓練中には、協力隊員自らが企画し、講師となって、講座を開催するというプログラムがある。その内の一つを担当することになったのだ。
 今後、任地においてOTに馴染みのない人々に、OTへの理解を深めてもらうためには、自分の体で体験して理解してもらうことも一つの手である。今回のことは、その練習ができる非常によい機会。また、OTのことを他の協力隊員に知ってもらうきっかけにもなる。

 講座はまだ先なので、今回その様子を伝えられないのは残念だが、現在少しずつ準備を進めている。OTのことを、まずは身近な人に、少しでも伝えたい。OTっておもしろい!そして、もうちょっと知りたい!って思ってもらえるような講座にしたいなぁ。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得し、都内の病院へ3年間勤務する。平成22年、長年の夢であった青年海外協力隊の試験を受験し、合格。平成23年3月退職し、7月から約2カ月の訓練を経て、9月より協力隊員としてモンゴルに赴任予定。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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150号:第3回 災害支援に思う(今回は、宮城・岩手県での災害支援活動の話になります)

執筆者近景 はじめに、この場を借りて、宮城県でお世話になった県士会や地元スタッフの方々、岩手県で拠点となる場所を提供してくださったデイサービスの方々、協力してくださった全ての方々に、深く御礼申し上げます。

 「すごくきれいなところなのに。何で何でこんなことになっちゃったんだろう」大船渡のデイサービスのスタッフが、送迎車の中から街の景色を見渡しながら、つぶやいた。車の中には私しか居なかったが、それは、私への言葉ではなかった。誰にとも言えない、こころのつぶやきだったように思う。 

 4月16日~21日、私はOT協会から紹介され、宮城県南三陸・気仙沼で支援活動をした。その際は、地域の保健所のリハビリスタッフがコーディネーターとなり、外部から来たボランティアを支援してくれたため、スムーズに支援活動に入ることができ、専念しやすかったように思う。協会主導のボランティアの内容は、今後様々なところで知ることができると思うので、ここでは割愛する。その後そのまま岩手県大船渡市に移動し、4月22日~5月26日、さらに支援活動を行った。そこではJOCVリハネット(脚注)という団体に属し、大船渡近隣の3つの障害者施設をまわった。

 私が大船渡に到着した当初は、私の少し前に到着したボランティアが1人居ただけの状態で、大船渡の行政・医療・福祉に関わる情報が十分に把握されていなかった。そのため、現地がどのような状態か、自分たちのキャパシティーの中でいかに関わることができるか、2人で調査することから始めた。最初は、調査や連絡、調整に奔走し、その中で協会の支援から漏れていた3施設の支援に絞った。それらの施設は、震災前には週に一度リハビリスタッフが来ていたが、震災によりそれが止まってしまったという。加えて、物的人的被害によって、利用者の活動範囲が狭まってしまい、それにより廃用が認められるということだった。それに対し私たちが行ったことは、それら3施設をまわり、震災によってレベルダウンした方々に集中的に関わり元の状態へ近づけること、震災以前のリハビリスタッフ訪問と同等の関わりを継続し、最終的に地元のリハビリスタッフに引き継ぐことであった。

 ゴールデンウィーク後は私一人での活動になってしまったが、地元のスタッフの方々の協力があったこともあり、最後まで継続することができた。しかし、この活動が十分にやりきれたとは言い難く、無力さを感じることもあった。冒頭の、地元スタッフの言葉にも、立ち尽くすだけだった。そんな中にも、活動によって改善の兆しが見えはじめた方もおり、一定の成果もあったように思う。しかし、今振り返ってみると、何より「気持ち」を届けたということが大きかったように思う。よく貰った言葉は、「来てくれるのが嬉しい」という言葉だった。

 現地のがれきの状態は、言葉にならない。それでも、1か月以上見ていると、少しずつ片付いていくのがわかる。しかし、心の傷はそうはいくまい。それでも、地元の人は、立ち上がろうとしている。拠点としていたデイサービスのほど近くに、空き店舗の居抜きという形で居酒屋がオープンした。店主は、店舗も家も全て流されたという。それでも、前を向く。「雇用が大事。地元の人は雇用を欲しがっている。だから、少しでも早く店を開けて、店を増やして、雇用を創設したいんだ」と。そして、ボランティアに対しては、「来てくれること自体がありがたい」とのことだった。地元の人にとって、がんばっていることを見ていてくれる人がいる、応援してくれている人がいる、そのことがエネルギーになっていると感じる。何か特別なことをしなくてもそこに行くこと、それに意味があったと思えた。誰にでもできる、そして実は究極の支援の形のようにも感じたし、作業療法にも通じるとも思う。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得、都内の病院へ3年間勤務。昨年、長年の夢であった青年海外協力隊の試験を受験し、合格。平成23年3月退職し、4月から約2カ月の訓練を経て、協力隊員として赴任予定であった。しかし、東日本大震災を機に渡航を延期し、東北にて災害支援活動を行う。今後は、7月より協力隊訓練予定。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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149号:第2回 渡航延期

執筆者近景 本来ならば、この回で青年海外協力隊の訓練所の事を書く予定でしたが、4月に予定されていた訓練を7月からに変更することになりました。(この記事は4月初旬に書いています)。そのため、今回は、協力隊の事とは少し離れたものになってしまいますが、なぜ変更したかを含めて、現在の状況をお知らせしたいと思います。

 3月、私は4月に予定されていた訓練所入所のため、着々と準備を進めていた。様々な事務手続きを行い、訓練所や渡航先で必要と思われる物品をかき集め、有給をもらって実家に帰り、家族・友人に別れを告げ、仕事の引き継ぎをし…。

 しかし、3月11日の大地震、職場にいた私は大きく揺れた。自分が今まで経験した中で、一番揺れた。そして、自分が経験してきた災難の中でも、一番危険だったように思えた。それから、自分や親しい人たちの無事にほっとしたものの、その被害状況が除々に明らかにされるにつれ、じっとしていられない気持ちになった。今、自分に何ができるだろうか。仕事もある中で、冷静に生活し混乱を招かないようにする、募金をする、というその時に自分にやれることをなるべく実行した。それと同時に、協力隊への参加について非常に悩んだ。

 被害状況を見ていると、現地で自分ができることはたくさんあるように感じた。また、非常に長い期間の支援を要するだろうということが想像された。世間では未曽有の事態とも騒がれている。こんな時に他の国に行っていていいのか。3月いっぱいで退職することも決まっていたため、4月になれば、協力隊にさえ行かなければ、長期間被災地へ行く時間は十分ある。協力隊は長年の夢であったけれども、時にはそれを捨てなければならない時もある、とも思った。

 私が、「そんなこと言ってらんないよね。」と、協力隊参加を迷っているという話をした時、周囲の反応は様々だった。自分の考えもなかなかまとまらなかった。結論から言うと、私はその後、JICAに連絡し、被災地へのボランティアを理由とし、渡航延期を申し出た。基本的には、やむをえない場合以外の渡航延期は認められず、また、渡航先が変更をよしとしなければ取り消しになる可能性もある。結局、私は、自分にとって非常に重要なことだったにも関わらず、自分では決めきれず、JICAに自分の身の振り方を委ねる形にしたことになる。そして、結果としては、渡航は延期となった。

 一人一人が自分の目の前にあることを着実に行って、何かしらの支援に結びつけることは大切だと思う。皆が被災地に行けるわけではなく、無理をすることよりも、一人一人が身近なことを続けることが大事なのではないかと思う。私にとって目の前のことをやることは、JICAボランティアに参加することだろう。国際協力は大事だし、今回の震災でも多くの国々が支援をしてくれた。私の派遣予定のモンゴルでも、国としての支援だけでなく、協力隊が派遣されている病院では、全職員の一日分の給料を送ってくれたと聞く。今まで、日本が支援をしてきたからそれがあったと思うし、私が協力隊へ参加することも非常に重要な事。今まで渡航準備を進めてきた両国のスタッフがいる事もわかっている。関東にいてもやれることはある。帰ってきてからだってやれることはある。頭の中ではわかっているのだ。しかし、割り切れない。もちろん、今、直接、被災地で関わって自分の胸に焼きつけることが、自分が今後、復興支援をする時にエネルギーになるのではないかという思いもある。それに、現地に実際に行く人もやっぱり必要だとも思う。しかし、やっぱり、自分のエゴのようにも思える。目の前のやるべきことを置き去りにして、直接現地で判りやすい活動をしたいだけなのではないか。決まっていたことを踏み倒して強硬突破しようとしているエゴイスト。どう考えても、混沌としている自分がいた。

 結局、どうしたらよかったのかは判らない。近くに困っている人がいる。遠くにも困っている人がいる。
今はまだ、混乱して、考えも文章もまとまっていないところがあると思う。答えは見つからない。たくさん疑問がある。今回、自分が招いた結果。迷惑を被っている人もいるかもしれない。ただ、今はこの結果に添ってやっていこう、と思っています。自分はこんなでいいのかと思いつつ、こうやって迷いながらも、進んでいくしかない。精一杯、今決まったこと、被災地での活動をやってこようと思います。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも、退職。その後、作業療法士資格を取得、都内の病院へ3年間勤務。昨年、長年の夢であった青年海外協力隊の試験を受験し、合格。平成23年3月、退職し、4月から約2カ月の訓練所での訓練を経て、協力隊員として赴任予定であったが、現在、訓練所への入所を3カ月延期中。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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148号:第1回 行ってみよう!

執筆者近景 いつごろからか、漠然と私は青年海外協力隊員としてまだ見ぬどこか異国の地で過ごしたいと思っていた。一番影響を受けたのは、小学校の時の担任の先生だろうと思う。私の出身は福岡県の有明海のそばの田舎町である。そんな田舎の小学校で、先生は、自分が青年海外協力隊員として行った国のスライドをたくさん見せてくれた。先生は、竹で作られたバリ島の楽器を学校に持ってきて生徒と演奏したり、ドイツ語の歌を教えてくれたりと、海の向こうの風を私たちに届けてくれた。

 それから、約20年がたった。行くべくして行く。必然、だと思っている。色々な思いがあった。大学でスペイン語を学んでから、私は、中南米を旅しながらラテンアメリカの文化に傾倒していった。また、イスラエル・パレスチナ問題に興味を持ち、イスラム文化にも惹かれていった。イスラムの街で聞くアザーンはとりわけ好きだ。「インシャアッラー(直訳:神の思し召しのまま)」この言葉には、なんともいえない響きを感じる。私は、青年海外協力隊の赴任希望地の欄に、それらの地域の国名を記入した。

 そして、夢みていた。中南米や中東へ…!そして、それは夢のまま、という結末を迎えようとは夢にも思わなかった。

 忘れもしない。それは、合格をインターネットで確認した日の翌日。JICAから封筒が届いた。赴任地が記載してある封筒だ。第一希望のエジプトかそれともコロンビア?ヨルダンだったら万々歳だ!と期待に胸を膨らませつつ、開いた紙には、「モンゴル」の文字…。目の前がまっくらになった。「目の前がまっくらになる」という事が、単なる表現ではなく、実際に起こることなんだと初めて知った。膝から崩れ落ち、再度見直したが、紙にはやっぱり「モンゴル」の四文字。そして、赴任場所は、首都「ウランバートル」の外傷・整形病院。できるだけ田舎の地域密着のNGOのような場所を希望していた私に、それはとどめを刺した。青年海外協力隊では、赴任地の希望は出せるが、それは、あくまでも「希望」であって、合格したからといって行きたいところへ行けるとは限らないのだ。

 一旦は、再度受験し直そうと考えた。しかし、なかなか一筋縄でいかなかった自分の人生を振り返って、行こうと決意した。いつも希望どおりにいかないことが多い自分、でも不思議と結果的にはよかったと思える自分、今までそんなだった自分を信じて、行ってみよう、と思う。協力隊に行く人は、私みたいに色々な思いを抱えていくんだろうなとしみじみ感じつつ。

 今は、こんな私でも必要としてくれるのならば、それに応えられるように力を尽くすのが礼儀だ、と考えている。モンゴルが私を呼んでくれている。

 かくして、私はモンゴルへ向かうこととなった。まずは、OTとしての自身のレベルアップを。そして、モンゴル語習得のために4月から、訓練所に入隊してきます!
 今後は、この場を借りてモンゴルより青年海外協力隊と作業療法にまつわる話についてお届けしていこうと思います。
 ああ、でもモンゴル、寒いのやだな…。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも退職し、作業療法士資格を取得。現在、都内の病院勤務3年目。昨年、長年の夢であった青年海外協力隊の試験を受験し、合格。平成23年4月から約2カ月の語学訓練を経て、6月、青年海外協力隊員として赴任予定。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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