148号:認知症のある方への作業療法・後編 OTへのメッセージ

 地域リハ部ではH21年度より、県内の障害者・当事者団体との交流・連携を推進する目的で活動取材を行い、県士会ニュースで紹介させて頂きました。取材の際に、認知症者の御家族から、「認知症の人に対して作業療法士がどのように関わっているのかわからない」「地域に作業療法士はいるのか?」といった声が聞かれました。それらの声からは、認知症者の地域生活支援に関わる作業療法士の少なさや、活動自体がよく知られていない現実が伺われました。
 今回、地域リハ部推進班の試みとして、認知症の方に関わるベテラン作業療法士から、認知症の作業療法における基本的な考え方や、実践の工夫等を教えていただくインタビューを企画しました。現在そして今後、地域で認知症の方に関わる作業療法士にとって、実践のヒントとなることを期待しています。前号に引き続き、佐藤先生のインタビューをお届けします。

「認知症のある方への作業療法・後編 OTへのメッセージ」

財団法人積善会 曽我病院 認知症治療病棟 佐藤良枝 先生

148号:認知症のある方への作業療法・後編 OTへのメッセージプロフィール:県内の養成校卒業後、静岡県で小児分野の作業療法に従事する。その後神奈川に戻り、介護老人保健施設(以下、老健)および曽我病院勤務を経て、老健の作業療法士としてリハビリテーション全般に従事。平成22年4月から再び曽我病院認知症治療病棟に勤務している。臨床25年目。」

―認知症のある方へ関わるOTへのメッセージをお願いします。

 まず1点目として、「幼稚にならないアクティビティ」の工夫をして欲しいということです。これは、心掛け一つで、今すぐにでもできることです。塗り絵はよく使われているアクティビティですが、子ども用の下絵を用いている場面を見かけたことがあります。自分の親や恩師、実習のスーパーバイザーなどの顔を思い浮かべて提供することに違和感はないか、人として当たり前の感覚を忘れずに、考え、工夫して欲しいと思います。
 たとえば、「いろはかるた」を塗り絵の下絵にすれば、幼稚には見えないし、作業の途中で対象者が疲れたり飽きたりした場合でも「いろはかるたの『い』って何でしたか?」など、塗り絵から語想起へとその場で課題を切り変えることもできます。また、認知症の方は抽象思考力が低下しているので、簡略化した図柄は却って認知しにくく、写実的な図柄のほうが認知し易いことも念頭において工夫してみるとよいと思います。パンダさんやクマさん、お人形さんのような幼稚な題材はやめて頂きたいと思います。
 その他にも、素材を工夫することによって工程を変えずに難易度を調整できますし、手続き記憶を上手に活用すると導入を円滑に行え、仕上がりも綺麗です。具体例は県士会サイトの「作業療法Tips—手工芸Tips」のコンテンツに掲載されているのでご参照ください。
-少しの工夫で幼稚にならないアクティビティができますね。これはOTがもっと知恵を絞るべきことですね。

 2点目としては、「生活歴を活用したアクティビティ」を提供して欲しいということです。対象者の行動や対応のパターンを理解し、良い面を良い方向に活用できるようなアクティビティを提供する。それは「その方の生きてきた人生を理解した」という、コミュニケーションの象徴としても機能します。認知症の方は、日々喪失体験を重ねているので、アクティビティが単に、can(=できる)やdo(=する)を目指すのでは、その時できたことは確かにすごいことだけれども、いずれできなくなる時がきて喪失体験の反復・強調になってしまいます。「する」「できる」ということが、その方の「在りよう」に結び付くような、doでありbeでもある体験としてのアクティビティを提供できれば、そのアクティビティは対象者自身の支えにもなります。そして、具体的なエピソードとしてそのことを御家族に伝えられたなら、一見、何もわからなくなったかのように見えても、その方らしいところが今もきちんと残っている…御家族の歴史の中のその方の姿を現在に再定位・再認識できる機会を提供することにもなります。
 OTとして再確認して欲しいことは、生活歴というのは、対象者が「何をしてきたか」ではなくて、「どのように生きてきたか」ということです。生活歴の活用について誤解している人が多いように感じていますが、重要なことは、生活歴の特性をよく理解して、生活歴の要素を対象者の今できることと結びつけ活用できるようにアクティビティをアレンジしたり選択することだと考えています。どこまでこちらが適切に生活歴を理解できるか、ということが最も重要なことだと思います。何にせよ生活歴は個別性の高いものですし、聴取の手段も機会も限られていますから。
-やはり、ある程度時間をかけてその方と関わって、理解が深まっていくものでしょうね。

 そうですね。評価と治療は車の両輪のようなもので、治療を進めるごとに評価が深まって、相手のことがより理解できるようになれば、より適切な治療が提供できるようになっていくと思います。

 3点目は、「表現形としてのBPSD」を理解して欲しいということです。「表現形としてのBPSD」という表現は、地域医療研修センターの八森淳先生が、認知症に関するシンポジウムで提唱されました。BPSDが起こる理由は、薬剤の副作用、身体的な不調によるものも多いとされています。また、不快刺激や不安なことをうまく言葉で表現できない時にもBPSDが出現するということは臨床現場で感じられている方が多いと思います。「表現形としてのBPSD」という言葉は、それらを非常に端的に適切に言い当てていると私は思います。BPSD=悪いこと、と捉えられがちですが、能力があるからこそできることであり、どんな状況でどんな風にBPSDが出現しているかという中にこそ、その方の能力や特性が現れています。認知症のある方は、伝えたいことを適切に伝えられないことが多々あります。しかしその方の「表現形である」という認識を持てば、BPSDはピンチであるだけでなく、チャンスでもあります。その方の伝えたいこと、その方自身を理解するきっかけにもなり得るのです。
-確かに。認識を変えてみると、BPSDを通して、見えてくるものや対応が変わりそうです。

 4点目は、「知識・技術は活用する」ということです。科学というのは過去の知識の修正の上に成り立つ学問です。現在、常識とされている考え方が10年後には全く変わる可能性もあります。多くの先人によって積み重ねられてきた知識と技術は大切です。けれど、目の前のAさんに対して、今の常識が適切かというと、それはまた別問題です。今の知識と技術を対象者に当てはめるのではなくて、最前線にいるのは常に自分と対象者であって知識ではない。対象者の役に立てるように、対象者の利益になるように、知識と技術を活用して頂きたいと思います。
-目の前の方を、持っている知識に当てはめようとしてしまうこと、恥ずかしながら私にもあります。当てはめるのではなく、一人ひとりの「○○さん」をよくするために、自分の持っている知識を統合して考えることが大切ですね。

 5点目は、専門的な本や論文だけでなく、当事者の本をもっと読んでいただきたいということです。当事者の方が考えている、感じている「現実」に触れる経験を通して、専門職が学び、類推できることはたくさんあります。認知症の方の御家族で、当事者の本を読んでいる方も大勢いらっしゃいます。論文を読むことは勿論必要ですが、当事者の本やサイトなど、御家族や御本人が接しているであろう情報にOTが関心をもち、知っておくことは、専門職のもう一つの役割として重要だと思います。まずは是非、読んでみてください。

-佐藤先生、貴重なお話をいただき、本当にありがとうございました。

後記:本インタビューはH22年10月のとある夕方に、曽我病院の認知症病棟リハビリテーション室で実施させて頂きました。当初1時間の予定が、気付けば3時間近く経過してしまう程、話題は尽きないものでした。丁寧に言葉を選び、お話される佐藤先生のお言葉は、長年認知症のある方と接し、悩み考え行動を積み重ねてきた、経験に裏打ちされた力強さの感じられるものでした。県内の様々な分野・場所で何らかの形で認知症のある方に関わっているOTの方は多くおられると思います。佐藤先生のお話から、認知症のある方との関わりを、より良き方向へと発展させるヒントが得られることを期待しています。

(文責:河村)

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