148号:第1回 行ってみよう!

執筆者近景 いつごろからか、漠然と私は青年海外協力隊員としてまだ見ぬどこか異国の地で過ごしたいと思っていた。一番影響を受けたのは、小学校の時の担任の先生だろうと思う。私の出身は福岡県の有明海のそばの田舎町である。そんな田舎の小学校で、先生は、自分が青年海外協力隊員として行った国のスライドをたくさん見せてくれた。先生は、竹で作られたバリ島の楽器を学校に持ってきて生徒と演奏したり、ドイツ語の歌を教えてくれたりと、海の向こうの風を私たちに届けてくれた。

 それから、約20年がたった。行くべくして行く。必然、だと思っている。色々な思いがあった。大学でスペイン語を学んでから、私は、中南米を旅しながらラテンアメリカの文化に傾倒していった。また、イスラエル・パレスチナ問題に興味を持ち、イスラム文化にも惹かれていった。イスラムの街で聞くアザーンはとりわけ好きだ。「インシャアッラー(直訳:神の思し召しのまま)」この言葉には、なんともいえない響きを感じる。私は、青年海外協力隊の赴任希望地の欄に、それらの地域の国名を記入した。

 そして、夢みていた。中南米や中東へ…!そして、それは夢のまま、という結末を迎えようとは夢にも思わなかった。

 忘れもしない。それは、合格をインターネットで確認した日の翌日。JICAから封筒が届いた。赴任地が記載してある封筒だ。第一希望のエジプトかそれともコロンビア?ヨルダンだったら万々歳だ!と期待に胸を膨らませつつ、開いた紙には、「モンゴル」の文字…。目の前がまっくらになった。「目の前がまっくらになる」という事が、単なる表現ではなく、実際に起こることなんだと初めて知った。膝から崩れ落ち、再度見直したが、紙にはやっぱり「モンゴル」の四文字。そして、赴任場所は、首都「ウランバートル」の外傷・整形病院。できるだけ田舎の地域密着のNGOのような場所を希望していた私に、それはとどめを刺した。青年海外協力隊では、赴任地の希望は出せるが、それは、あくまでも「希望」であって、合格したからといって行きたいところへ行けるとは限らないのだ。

 一旦は、再度受験し直そうと考えた。しかし、なかなか一筋縄でいかなかった自分の人生を振り返って、行こうと決意した。いつも希望どおりにいかないことが多い自分、でも不思議と結果的にはよかったと思える自分、今までそんなだった自分を信じて、行ってみよう、と思う。協力隊に行く人は、私みたいに色々な思いを抱えていくんだろうなとしみじみ感じつつ。

 今は、こんな私でも必要としてくれるのならば、それに応えられるように力を尽くすのが礼儀だ、と考えている。モンゴルが私を呼んでくれている。

 かくして、私はモンゴルへ向かうこととなった。まずは、OTとしての自身のレベルアップを。そして、モンゴル語習得のために4月から、訓練所に入隊してきます!
 今後は、この場を借りてモンゴルより青年海外協力隊と作業療法にまつわる話についてお届けしていこうと思います。
 ああ、でもモンゴル、寒いのやだな…。


青年海外協力隊 平成23年度1次隊 堤由貴子

 大学卒業後一旦就職するも退職し、作業療法士資格を取得。現在、都内の病院勤務3年目。昨年、長年の夢であった青年海外協力隊の試験を受験し、合格。平成23年4月から約2カ月の語学訓練を経て、6月、青年海外協力隊員として赴任予定。


青年海外協力隊とは

 JICAボランティア事業は日本政府のODA予算により、独立行政法人国際協力機構(JICA)が実施する事業です。開発途上国からの要請に基づき、それに見合った技術・知識・経験を持ち、「開発途上国の人々のために生かしたい」と望む方を募集し、選考、訓練を経て派遣します。青年海外協力隊は40年以上という長い歴史を持ち、これまでにのべ3万4000人を超える方々が参加しています。(JICAホームページより)

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