第14回神奈川県作業療法学会
テーマ「つなげよう過去から未来へ -作業療法の挑戦-」
国際医療福祉大学 学会長 菅原 洋子
第14回神奈川県作業療法学会のテーマを『つなげよう過去から未来へ -作業療法の挑戦-』としました。
このテーマの下で3つのことをお伝えしたいと思います。
第一に東日本のリハを牽引してきた神奈川県作業療法士の方々の40年以上にわたる歴史を若い会員の方々に知っていただきたい。
第二にその歴史の中で「リハビリテーション=社会復帰」の目標に向かって挑戦し続けてきた足跡を糧にしていただきたい。
第三に職域が拡散する中で、作業を武器にして患者さんや利用者さんの生活再建を支援するという基本を共有していきたいということです。
「日本のリハビリテーションは西高東低」という言葉を聞いたことがありますか。
医療の分野でも福祉の分野でもリハビリテーションは西日本が東日本より進んでいるという意味です。
そのような中で、神奈川県は1960年代から各分野でリハビリを実践する施設が開設し、東日本のリハビリテーションを東京都と共に牽引してきました。
発達領域では「ゆうかり園」が1960年代に開園され、養護学校併設のこの施設にOTの資格制度ができてすぐに有資格者が入職し肢体不自由児療育にあたっていました。
当時は県全域の障害児を対象に医師を中心にした医療チームを作って巡回し、始めて医療にかかるようなお子さんを含めて相談・指導をしてきたということです。
現在ここは神奈川県立総合療育センターに併合されました。
七沢リハビリテーション病院脳血管センターは昭和41年(1966年)全国に先駆けてリハビリテーションの総合病院として開設され、昭和48年(1973年)神奈川総合リハビリテーションセンターに併設されました。
その頃PT、OT、STは診療報酬の対象ではなく病院で維持期を支えていればいいという時代に、リハビリ工学を取り入れた研究室を併設しどんな重症の人も社会復帰の道を探そうとリハスタッフは悪戦苦闘したと聞いています。
横浜市立大学付属病院にリハセンターが開設されたのは昭和43年(1968年)です。
これは東大病院、慶応病院とほぼ同時期に始まっており、リハ医長であった大川嗣雄先生の指導の下に急性期におけるリハビリテーション医療の実践とエビデンスを公表していくことを課題にしていました。
精神障害の領域では昭和46年(1971年)開設の川崎市社会復帰医療センターにおけるデイケアや「もみの木寮」での作業療法、そして家庭訪問、職場訪問を含めた実践が、その後の精神障害を持つ人々の退院支援、在宅支援の制度にむけてモデルとなりました。
当時精神科医療はまだまだ施設中心の政策でしたが、病気を持ちながら地域で生活することの重要性を確信していた岡上和雄先生の指導が大きかったということです。
同時期にその他にもいくつかの病院や施設で先駆的な作業療法を展開しています。
今回はそれぞれの領域の先輩(パイオニア世代と共に働いていた現役のリーダー)との交流も学会活動のひとつとし、多くの方々の参加によってこれまでの歴史を力にして未来へと繋げる学会にしたいと思っております。