心身の使い方は重度の認知症でも改善できる

人は生き物ですから
どうしても老化は起こります。

老化の一環として量的低下も起こります。
若い頃は記憶力が良かったのに
年をとるとめっきり落ちてしまったとか。
かく言う私も高校生の頃は部活の先輩も後輩も含めて
みんなのお誕生日と電話番号を覚えていたものですが
今は、とっても無理!
覚えることは選択肢にもあがりません。
まず、スマホを取り出しています。

老化は生き物としての宿命です。

アンチエイジングも一つの考え方ですが
それにしたって不老不死というわけにはいかないので
限界があるものです。

であるならば
なるべく心身の機能を維持できるように考えるだけでなく
衰えていく心身と上手に付き合う方策を考えても良いのではないでしょうか。

流動性知能が衰えても、結晶性知能は維持されやすい
とはよく言われていることです。

流動性知能をトレーニングするのではなく
結晶性知能を活用できるようにする

今や覚えていなくても
PCやスマホを開けば情報を得ることは容易です。
人に要請されるのは、情報の真偽や適否を見定めることです。

結晶性知能を活用する
まさしく、智慧や叡智が求められている。
その点において(背景は真逆であったとしても)
認知機能が低下しても暮らしていくことと
情報の海に溺れずに仕事をする、生きていくことに
大きな変わりはないように感じています。

鶴見俊輔は
「耄碌を濾過器として考える。
 大事なことだけ残してあとは忘れていく。」(要旨)
と言っていましたっけ。

それと同じことが身体にだって言えると思うのです。

筋力という量的低下はあっても
身体協調性を高めて対応力を維持していく

食べることに関しての協調性を維持できるような食事介助を意識する

喉頭挙上能は、介助によって相当変わります。
もちろん、対象者固有の病態による場合もありますが
生活期にある方の場合には多くは不適切な介助による誤学習が原因です。
だからこそ、介助を変えると食べ方が変わる
喉頭挙上できなかった方でも完全挙上できるようになります。

立ち上がりに関しても
なかなか立ち上がれずに生活が不便になってきたら
腰背部の同時収縮を使わない立ち上がり方に変えていく

もちろん、重力に負けない+体重を支えられるだけの筋力は必要ですが。
ボディビルダーにならないと暮らせないわけではありません。
MMTで5ないから立ち上がれないわけではありません。
どこまで筋力を鍛えなければいけないのか
その根拠もなしに、立ち上がり100回なんてやっていると
「漫然としたリハ」と言われちゃうんじゃないでしょうか?

結果として起こっていることだけを見て
老化、筋力低下と判断するのではなくて
年老いたとしたら、その年老いた状態なりに、その時々に応じて
リ・ハビリス(再び適する)の援助となるように

高齢期において
筋力低下・廃用論が吹聴され流布していますが
本当にそうなんでしょうか?

立ち上がりにおいても
食事介助においても
筋力強化をしなくても
立ち上がれるようになる
喉頭挙上が改善するということに当たり前のように遭遇しています。

impairmentは治せないが、disabilityは改善できる。

身体はつながっている
解剖学的にも生理学的にも連続性があります。

連続性があるという身体の働きのメリットを活用できるような
リハビリテーションの実践が求められていると考えています。

 

 

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違いを体験する→認識できる

わかる ということには、果てがない。

逆に
わからないからできないし
わからないからやってしまう

昔、老健で勤務している時に
「なんでよっしーさんが食事介助すると点数(介護報酬)が取れて
 私が介助すると点数が取れないの?」
とあるスタッフが陰で言っているのを聞いたことがあります。

あぁ、この人は
自分と私の介助に違いがあるのがわからないんだなぁと思いました。

わかる、ということは
白と黒の間のグレーの色調の解像度がよりきめ細やかに認識できる
ということでもあります。

ムセさせずに食塊を口の中に入れることができる
という意味では、その人と私の介助に違いがないように
まさしく見えたのでしょう。

でも、私にはその人と私の介助の違いがわかります。
私が実践していること、意識しながら介助していることを
その人がしていないことがわかります。
その介助の違いによって、対象者の食べ方も違ってきていることを
摂食・嚥下5相のどこがどう違うのかと具体的に説明することもできます。
  
熱心な人であれば、直接私に聞いてきます。
「どうしたらよっしーさんみたいに介助できるんでしょうか?」
そう聞かれたらちゃんと答えます。

でも聞いてこない人に対して
いくら言葉で説明しても
自身の介助を修正してくれることにはつながりません。

その人の中では ちゃんと介助してるつもり だからです。

このような場合には
ちゃんと介助しましょうと言うのではなく
「ちゃんと介助する」体験と「ちゃんと介助していない」体験とを
対比させて体験させることが重要です。

説明より体験
違いがわかっていないのだから
まずは、違うということを実感してもらわないと。

技術職の強みは
違いを実感させられる体験学習を提供できる ことにもあります。

学ぶということは変わるということです。
卒後養成においては
各々の職場で対象者の方への対応が改善されることが目的です。

  ここでも往々にして
  卒後養成プログラムがあるから実施する
  というように、目的達成のための手段の適否の検討ではなく
  手段の目的化が起こりがちです。

  目的と手段を混同している人が卒後養成の担当になると尚更です。。。

職場のスタッフの傾向が把握できていれば
提供すべき体験が自ずからわかります。
より効果的な体験の提供の仕方も自ずから浮かび上がってきます。
必要な準備も芋づる式に浮かび上がってきます。

職場でポジショニングの勉強会を開催した時には
担当者やポジショニングをきちんとできているスタッフに
「何が足りないか?」「何を言って欲しいか?」も確認しました。
私だけでは見落としていることもあるかもですし
私と同じ見解であれば、ふだん相当実践できていないことの確認ができます。

知識編では
現場あるあるの誤解と本当に起こっていることを明確に言語化し
実践編では
私の介入前後で対象者の身体の変化を実際に触って感じてもらいました。
その上で
どうしたら再現できるのか
手順とポイントについて明確に言語化し
再現しようとして、し損ねているポイントについても言語化しました。

あるスタッフは
「よっしーさんに言われた時には正直なところ「?」って思ったの。
 でも、やってみたら本当にその通りだった。
 ごめんなさい。」
と吐露してくれました。

まさしく、
「聞いたことは忘れる
 見たことは思い出す
 体験したことは理解する

今まで、適切でない方法論を教えられてきて
長い間そのやり方を行なってきたという体験が誤認を蓄積させているのです。

多くの人は
教えてもらった通りに実践しても
効果がないという体験をしているはずなのですが
疑問を抱く人は少ないものです。

教わってきたことをやってるし
周囲の人がみんな同じことをしているから
目の前で起こっていることを「見れども観えず」にしている自覚が
生まれにくいのかもしれません。

だから
体験学習が有効です。
ピンポイントでの体験学習。

こちらの関与によって対象者に変化が生じる
という事実を現前させることです。

ポジショニングは比較的、体験が容易ですが
食事介助は体験と説明を切り離した方が体験学習がスムーズに進みます。
食事介助は
観察のポイントが多数あり、そのポイントが流動的だから
今まで食べ方を観察していない人が実際の食事の場面で観察することは
とてもハードルが高い、難しいことだからです。

まずは、知識の提供
:知る
次に、職員同士の食べさせっこ
:違いを感じる
最後に、対象者の介助の違いによる変化を動画に撮って説明する
:観察する

これらが的確にできるためには
まず、自分自身が適切な介助ができることが前提要件です。
自分が実践できていないことを他者に教えることはできません。

そして
実践の深みに応じて言語化できるようになる。
ここにも果てはない。。。

 

 

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口腔期のリハ:2項関係で実施

認知症のある方は
介助に対して適応することが難しい方もいるので
介助方法をいろいろと工夫するよりも
自力摂取を目指す方が良い方もいますし
自力摂取を目指すべき方もいます。
 
特に
前頭側頭型認知症のある方や
オーラルジスキネジアのある方や
性格的に意思表示がきっぱりしていて
自主独立の生き方をしてこられた方は
介助というカタチで他者の介入をすることを嫌がったり
介助にうまく協力することが難しかったりします。

  特性の判断についても
  介助していればわかるものです。
  食べるという行動に特性が反映されるからです。
 
  「もしかしてお若い頃からご自身の考えを明確に持った
   すごくしっかりした方でしたか?」
  「もしかして慎重な方でしたか?」
  とご家族に確認すると
  「えぇ、そうなんです」「その通りです」と驚かれることもよくあります。

  こちらの介助への反応の仕方
  例えば口腔ケアへの拒否の仕方も評価の根拠となる大切な情報です。
  「拒否=問題」として捉えたり
  「拒否=辛い、困った、嫌」としてしか受け止められないと
  大切な情報を取りこぼしてしまいます。
  拒否されるのは自身にとっては辛いことではありますが
  対人援助職だからこそ、自身の辛さは辛さとして受け止めた上で
  貴重な情報収集の機会として活用できるようになると
  結果として拒否されることもなくなってくるものです。

そのような場合には介助を工夫するのではなくて
食環境調整として、
イマ、ラクに、食べられる対象(食形態)を適切に選択することが大切です。

認知症が進行すると
impairment面への直接的な抽象的なリハは難しくなります。
例えば、舌の突き出しや左右へ動かすなどの個別の動きを
セラピストの指示通りに動かすことが難しくなります。
だからといって、リハができないわけではありません。
disability面へのアプローチなら可能なのです。
結果として、舌の多様な動きが担保できるようになれば良いのです。

セラピストは直接介入せず
食べる対象を適切に選択することで
認知症のある方が対象に適切に対応することを促す
つまり、2項関係でのリハを行っているのです。
認知症のある方の身体を対象化させないということです。

食べるというのは
究極の手続き記憶です。
誰でも赤ちゃんの頃から
一日3食プラスα、毎日毎日繰り返し行ってきた手続き記憶であり
現在進行形で
一日3食プラスα、毎日毎日繰り返し行われるADLなので
再認の可能性の機会がたくさんあります。

食事介助というのは
どんなに重度の認知症のある方でも
食事介助によって食べ方が良くなる可能性も
悪くなる恐れも同時に存在する場面なのです。

手続き記憶とは非陳述記憶のひとつです。
非陳述記憶とは記銘ー保持ー想起の過程に意識が関与しない記憶です。
手続き記憶を賦活できるようにするためには
意識を関与させず
身体のことは身体に任せるという関与の仕方が有効です。

 

 

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ムセの起こるパターン スプーンテクニックで予防・改善

スプーン操作を見直すべき兆候をまとめました。
もしも、対象者の方が下記のような食べ方をしていたら
介助者側の不適切なスプーン操作の結果ですから
ぜひ、ご自身のスプーン操作を見直していただきたいと思います。

・・・ スプーン操作を見直すべき兆候 ・・・・・・・・・・・

 
  <開口した時>
  ・舌が奥に引っ込んでいる
  ・舌が硬くなっている


  <食塊をとりこむ時>
  ・顎が上がっている
  ・上唇を丸めずに閉じている
  ・口角から食塊がこぼれ落ちる
  ・引き抜いたスプーンに食塊が残っている
  ・正面ではなく介助者の側に頭部を回旋している


  <食塊が口腔内にある時>
  ・咀嚼・送り込みに時間がかかる


  <食塊を嚥下する時>
  ・喉頭が完全挙上しない
  ・喉頭が複数回挙上する

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  

食事介助はカンタンだと思われているのか
卒前卒後を問わず、してはいけないスプーン操作について
そしてその理由についてもきちんと教えてもらっていないがために
美味しく食べていただきたいと願いながらも
結果として不適切なスプーン操作をしてしまい
対象者が食べづらそうにしていると漠然と思っても
どこがどうなっているのか、なぜそう感じたのかを言葉にできず
悶々とした日々を送っている人も多いのではないでしょうか?

舌が後方へ引っ込んだり、板のように硬くなってしまうのは
介助者がスプーンを口の奥の方に突っ込んだり
上の歯や歯茎で食塊をこそげ落としたり
口の中に食塊を入れたり
嚥下しきっていないのに次の食塊を介助するような
スプーン操作を行うことで引き起こされます。

介助する側は
その場でムセることがないと
自身の不適切な介助方法を自覚することができず自己修正もできません。

生活期にある方は、食べにくいと感じても
その食べにくい介助に適応しなければなりません。
一日3回の食事+午前午後の水分補給と
必死になって食べているのです。

舌が板のように硬くなっている方でも
前舌をしっかりと押してあげる操作を
食事介助の場面で毎回毎回繰り返し行うことで
しなやかさを取り戻すことができます。

前舌をしっかり押すと
作用反作用の法則で、押された反作用として舌尖の跳ね返りが起こります。
板状となってしまった舌にもう一度「動きの再学習」を伝えるのです。

喉頭挙上のタイミングが良い方で完全挙上ができる方であれば
自分自身のペースで摂取できるように
ストローで飲み物を摂取していただくと
綺麗に送り込みができて、ムセもなく喉頭完全挙上しながら
飲める場面を目にすることができるでしょう。

介助が必要であれば
口腔期の負担を減らせるように
ツルンとしたテクスチャーのゼリーなどを少量提供すると
スムーズに送りこめて、喉頭も完全挙上できる場面を目にすることができるでしょう。

このあたりの判断は
その方の口腔期と咽頭期の能力と困難の兼ね合いとなるので
一概にどうすべきかは言えません。
目の前にいる方の食べ方をきちんと観察し
食べ方に反映されている能力と困難を洞察すれば
適切な食形態と介助方法が自然と浮かび上がってくるものなのです。

咽頭期の問題、例えば
喉頭挙上のタイミングのズレ、遅延、挙上の可動域の少なさ
が咽頭期本来の問題のことは実は非常に少ないのです。
この辺り、現行の摂食・嚥下の知見が嚥下反射に囚われすぎていると思います。
おそらく、もともとはCVA後遺症をベースに知見が蓄積されてきたことに
関係していると思っています。
喉頭が不完全挙上しかできない方でも
適切なスプーン操作を繰り返すことで完全挙上できるようになったり
バラバラのタイミングで複数回挙上してようやく完全嚥下していた方の
タイミングが整ってきて〇〇秒ごとに〇〇回の挙上が起こって完全嚥下
と明確化できるようになったりします。

この時に大切なことは
相手の食べ方を尊重して、決して修正しようなどとはせずに
(相手の食べ方は今までの介助方法に対する誤学習なので
 誤介助にすら適応してきたという家庭を尊重します)
まずこちらの介助を適正化して反応の変化を待ちます。
 
適正化できるということは
冒頭に記載したような食べ方を引き起こさないことを最低限担保したうえで
その方固有の食べ方に合致させた介助ができるということです。

多くの場合に、食事介助をカンタンに考え過ぎなんです。
自分の介助に根拠不明な自信がある(苦笑)から介助したがる(苦笑)
「私の介助が下手なせいで食べにくい思いをさせたらどうしよう」
ともっと不安に思ってほしいと思います。

ためこみや吐き出し、ムセなどの食べることの問題が生じた時に
ちゃんと観察もせずに、自身の介助を振り返ることもせずに、まず介助する
介助してうまくいかないことを体験して初めて
「どうしたらいいんだろう?」と考える。。。
そりゃーうまくいくわけない(苦笑)

逆に言えば、ここに未来への希望があります。
ちゃんと観察する
自身の介助の適・非適を振り返る
これらができれば
今まで見えなかったもう一つの現実を目にすることができます。

「何がいいんだろう?」「どうしたらいいんだろう?」
と考えなくてはならないとしたら
それはまだ観察・洞察が不足しているということを示しているので
もう一度観察に立ち返れば良いのです。
というか、観察に立ち返るしかないのです。

  側臥位での食事介助も提唱されていますが
  確かに側臥位は、舌の送り込みに関しても喉頭挙上に関しても
  除重力位となるので負担を減らすことができますから
  その面では効果的だと言えますが
  介助における誤学習誤介助の側面を解決できなければ片手落ちとなりかねません。

多くの場合に
食環境や介助方法を変えることによって
もう一度安全に食べられるようになりますが
本来のその方の能力発揮を促しているので当たり前のことです。
適切に対処できれば、舌が硬くなることもないのに
適切に対応できないために、舌が硬くなり結果として喉頭の動きが悪くなり
低栄養や脱水を回避するために必死になって
介助者が口の中に飲食物を「入れよう」とした結果
喉頭不完全挙上やタイミングのズレによって誤嚥性肺炎のリスクは甚大になります。

善意に基づく行動であったとしても
知識と技術の伴わない行動によって真逆の事態を引き起こしてしまいかねません。

  地獄には善意が満ちているが
  天国は善行が満ちている

ムセの有無しか確認しない食事介助というのは本当に恐ろしいものなのです。

 

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ムセの起こるパターン 舌の硬さ

ムセの起こるパターンは2つあります。
1つは、咽頭期そのものの働きの低下で
もう1つは、口腔期の働きの低下によって二次的に咽頭期の低下が起こる
ことの2つです。

生活期にある方の場合に
圧倒的に多いのが、2つ目の口腔期の働きの低下によって
二次的に咽頭期の低下が引き起こされているというケースです。

前の記事で書いたように
舌が板のように硬くなったり、後方へ引っ込んだりしていれば
(ひどい時には舌が硬く丸まった状態で
 上後方へ引っ込んでいるケースに遭遇したこともあります)
舌のしなやかな動きができなために
食塊の再形成や送り込みが困難になってしまいます。

ここで誤解が多いのが
重度の認知症のある方でも常に自身でなんとかしようとしている
ということを私たちが忘れてしまいがちなことです。
口腔期の低下があっても何とか食べようとすれば
協調性の低下をパワーで補う、力任せに過剰に頑張って飲み込もうとするしかありません。
最初はそうやって飲み込めていても
舌が硬いということは、内舌筋(固有舌筋群)だけでなく外舌筋群も硬くなっています。
その状態に加えて、さらに過剰な努力を要請されることで
頚部の筋も硬くなってしまいます。
その結果、喉頭が円滑に動けなくなってしまう。
そして、喉頭挙上に遅延が生じたりタイミングがズレたりしてしまう。
こんなに食べにくい状態でもムセがないから見落とされています。

ムセるようになって初めて食べ方に着目され
ようやく喉頭の不完全挙上を目にしても
口腔期や経過について見落とされているので言及されない。
その結果、老化による筋力低下によって喉頭挙上困難と判断されてしまいます。

  生活期にある方の立ち上がり困難という事象に対して
      筋力低下論が提唱されています。

  ですが、私は筋力低下は結果として起こる。
  身体協調性低下のために立ち上がり困難が生じる
  立ち上がり困難な方に対しては立ち上がりや筋力強化をするのではなくて
  身体協調性を高めるために座る練習をすることを提唱しています。
  「座る練習」をすることでたくさんの方が立ち上がれるようになりました。
  詳細は検索してみてください。
  カタチは違えど全く同じコトが食べることに関しても起こっているのです。

舌の硬さが主問題であって咽頭期の問題は二次的に起こる。
多くの人が見落としている、食事介助の現場で起こっていることです。
咽頭期そのものに問題があるというケースは実は少ないのです。
「認知症だから食べ方を忘れる」と言う人もいますが
認知症のある方は「今食べている」ことを忘れることはあっても
食べ方はちゃんと身体が覚えています。

  大雑把な言い方をする人は
  ちゃんと観察していないから
  その方固有の困難が見出せずに
  じゅっぱ一絡げの言い方をするし
  じゅっぱ一絡げの介助をして
  じゅっぱ一絡げのレッテルを貼ることができるのです。

じゃあ、なぜ、舌そのものに病変があるわけでもないのに
舌が硬くなってしまうのか?

それは誤介助誤学習が起こっているのです。

誤介助、つまり、そうとは知らずにおこなってしまっている
不適切なスプーン操作のせいであり
不適切なスプーン操作という誤介助に対して、適切に対応しようとした結果
生活期にある方が自らの能力を落としてしまう誤学習が生じているのです。

適切なスプーン操作ができていれば
上記のような状態を予防することができますし
板のように硬くなっていても適切なスプーン操作によって
(特別のリハをしなくても)
もう一度柔らかい舌を取り戻すことができ、
結果として本来の咽頭期の働きも発揮できるようになります。

  もしも、本当に老化による筋力低下や
  認知症の重篤度のせいだとしたら

  改善されないですよね?

不適切なスプーン操作?

スプーンテクニックという言葉が定着するようになりましたが
ちょっとしたスプーンの扱い方によって
食べやすさ、食べにくさは大きく変わります。
次の記事でご説明します。

 

 

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ムセの起こるパターン 前提

イメージ_お堀

ムセの起こるパターンは
大きく分けて二つあります。

もともと、摂食・嚥下5相の咽頭期に問題がある場合と
本来の問題は口腔期にあって
咽頭期は二次的に引きづられて能力低下をきたした場合の二つです。

そうはいっても
「何を言ってるんだ?」と思われるかもしれませんね。
まず、喉頭の動きをきちんと観察してみてください。

生活期にある方の場合
例え、ムセがなくても
喉頭の挙上はさまざまなパターンが見られます。
1回で完全に挙上することもあれば
2回目の完全挙上で完全嚥下する場合もあれば
3回目の挙上で完全嚥下する人もいます。
挙上と挙上の時間的間隔もバラバラだったり定期的だったり
不完全な複数回の挙上を繰り返す人もいますし
食べ始めと食べ終わりで変わることもよくあります。

次に
口腔期の動きを観察します。
開口した時に、舌が後方へ引っ込んでいませんか?
(通常は、開口した時に舌尖は下の歯のすぐ裏側に位置しています)
スプーンで前舌を押した時に、舌が硬くなっていませんか?

舌が後方へ引っ込んだり硬くなっている方は、思っている以上にたくさんいます。
実際に食事介助しているのに、
目で見て、手で感じているはずなのに気がつかないだけです。
自分の興味がないから注意を向けることができないために
「見れども観えず」になっているのです。

通常、舌はしなやかに動くものです。
しなやかに動けるから、口腔内に散らばった食塊を再形成して
咽頭まで送り込むことができるのです。

  講演の後などによく質問されるのが
  「ためこんでしまって飲み込んでくれないのですが、
   どうしたら良いでしょうか?」

  という質問です。
  ためこんでしまう というのは、結果として起こっていることです。
  本来は 送り込みが困難 という事象の結果を見ているのです。

私の経験では
舌がかまぼこ板のように硬くなってしまっている方もいました。
舌も筋肉です。
筋肉が板のようになっては本来の多様な動きどころか
咽頭まで送り込むのが大変困難になってしまいます。

ためこんでいたり、飲み込みに時間がかかる方がいたら
口腔期と咽頭期をもう一度観察し直してみてください。

 

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ムセって何?

認知症施策

食事介助の現場の多くで
ムセは、指標のひとつになっています。

食べる能力の指標だったり
食べることを中止すべきかどうかの指標だったり

現場あるあるなのが
食事中に強く激しくムセこんだら
「あー!ダメダメ!その人、もう食べさせないで!」
という声が飛ぶこともよくありますよね?

食事介助中も
ムセの有無を気にしている人は多くいますが
さて、「ムセって何?」って尋ねられて
きちんと答えられる人は圧倒的に少ないのが現実です。

  構成障害重度とか遂行機能障害があるとか
  言う人は多いけれど
  構成障害とはなんぞや?遂行機能障害とは何?
  って尋ねられて明確に答えられる人は案外少ないものです。
  専門用語として言葉は知っていても概念の本質を理解していない
  だから観察できないし、何が起こっているのかの洞察もできないから
  BPSDや生活障害に対して適切な対応ができないのと
  まったく同じコトが違うカタチで
  食事介助の場面でも起こっているのです。
  だからどうしたら良いのかわからない。。。
  でも、これらは私たちの側の問題なので
  私たちが変われば違う現実が現前する可能性があるのです。

ムセは誤嚥のサインですと言うかもですが
身体のどこがどう機能してるから誤嚥のサインだと説明できますか?

もう一度、お尋ねします。

ムセって何?

 

 

 

 

 

 

答えです。

ムセとは、
気管に食塊などの異物が侵入した時に
声帯を激しく内外転させ
呼気のパワーで喀出させようという働きです。

誤嚥のサインであると同時に異物喀出作用でもあるのです。

現場あるあるの誤解が
「強く激しいムセ=誤嚥の酷さ」という誤解です。
これはもうホントに根深い誤解です。

強く激しいムセ=異物喀出能力の高さ なので
強く激しくムセる方がいたら、ムセを手助けして
しっかりとムセ切っていただくことが大切です。
ムセ切った後に声の清明さを確認できれば食事を再開できます。

ムセにおいて
最も怖いのが、サイレントアスピレーション ムセのない誤嚥です。
運動もしくは感覚の障害でムセることができない状態です。
ムセないのと、ムセることができないのとは、まったく違うのです。

ムセの激しさと誤嚥のひどさが比例しているわけではないのです。

ムセの激しい方よりも、気をつけなくてはいけないのは
弱々しくしかムセられない方のほうなんです。
弱々しいムセとは、異物喀出作用の弱さを示しています。
 
「弱々しいムセ=大したことのない誤嚥」という誤った認識で
食事介助を続けてしまう人は大勢いますが
異物をきちんと喀出しきれていない状態のまま食べさせている 
というとても危険な状態を作ってしまっていますし
そのことに自覚がないという二重の意味でとてもリスキーなんです。。。

言い換えれば
食事介助において
あまりにもムセの有無が過大視させられていて
もっと観察しなければならないことが見逃されてしまっているのです。

ムセは結果として起こっているので
どのような食べ方をしている結果としてムセたのか
というところをこそ、観察する必要があります。
(ところが、そうしていない人の方が圧倒的に多いのです)

  観察し損ねているから
  何が起こっているのか、わからない。
  だから、「ムセないようにゆっくり介助しましょう」
  と言うことしかできず、安全に食べてほしいと願いながら
  ムセをなくす介助ができなかったりします。
  私は「ゆっくり」ではなくて、
  たとえば
  「2回の喉頭完全挙上で完全嚥下しているから
  必ず2回目の挙上を目で見て確認してください」
  のように伝えています。

  ゆっくり介助すると言われても
  どこをどう介助するのがゆっくりなのかわかりませんよね?
  副詞を使った言語化では気持ちを込めることはできても
  状態や行動の明確化がされにくいので
  再現性の担保をすることは難しいのです。
  私は基本、副詞を使わずに
  名詞と動詞を使って言語化するようにしています。
  名詞と動詞で言語化できない時には
  観察できていないのです。

ムセは、
喉頭挙上の能力低下で起こることも確かにありますが
生活期の臨床現場で最も多いのは
咽頭期の本来の能力は保たれているのに
口腔期の能力低下によって二次的に咽頭期の能力低下が起こる場合であり
しかも、この場合の口腔期の能力低下が
誤介助誤学習によって引き起こされるケースが圧倒的に多い
ということはほとんど知られていません。

CVA後遺症急性期などのケースでは摂食・嚥下リハは必須ですが
高齢者や生活期にいる方にとっては
摂食・嚥下リハよりも食事介助と介助中の観察の方が重要です。
そして、食事介助に気をつけるだけで食べ方が改善されるケースは
日常茶飯事、枚挙にいとまがありません。
もっと言うと、摂食・嚥下リハをいくら頑張っても
漫然とした食事介助が為されれば、
効果が出ないどころか逆効果になってしまうことすら起こり得ます。

古くて新しい食事介助の問題について
問題は多数あって、しかも錯綜している現実を
これからの記事で解きほぐしていきます。

 

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忘れられがちな1手間:視覚障害

目が見えない認知症のある方に対して
声をかける時には、毎回必ず名乗るようにしています。

「〇〇さん、こんにちは。
 リハビリのよっしーです。
 ラジオ体操の時間です。」
「〇〇さん、こんにちは。
 リハビリのよっしーです。
 そろそろお食事の時間です。」

トイレや着替えや食事など
何を介助されるにしても
誰だかわからない人にされるのは不安だと思います。

視覚障害がなければ
名乗らなくても「こんにちは」だけでも
相手は私を見て「私→どんな人」を察知します。
認知症が重度だと私の名前を覚えられなくても
「私→どんな人」というのは覚えられることが多いようです。
曰く、体操の先生、歌の先生、(毛糸)モップの先生etc.。。。

でも、視覚障害があると、その手がかりがない。。。
だから、名乗ります。
名前を伝えるだけではなくて、
伝える過程を通して「声」と「話し方」を伝えます。

大声を出したり介護抵抗のある方でも
「俺は顔がわかんないからさ、わかるのは声だけだから」
とおっしゃっていたことがあります。

BPSDが激しいと
「認知機能が相当低下している」と誤認されやすいようですが
これらに相関はありません。
むしろ、認知機能障害が軽度の時ほど不安感が強いのでBPSDが激しくなる
ということはよくあります。

BPSDや生活障害が重度だと
職員の側がつい、「大声がひどい〇〇さん」のように
BPSDや生活障害を形容詞化してしまいがちですが
そうすると〇〇さんの能力やBPSDや生活障害を起こしていない状態を
見落としてしまいがちです。

  言葉には無自覚の意識も反映されます。
  例えば食事介助で
 「Aさんは100%入りました」という言葉を聞いたことがあります。
  入った。。。なるほど、口の中にどう入れるかという観点で介助していれば
 「100%入った」「食事が入りません」という言葉が口をついて出てくるのも
  うなづけます。。。
  「大声がひどい〇〇さん」という言葉を使ってしまうことで
  〇〇さんが大声を出さずに過ごせている場面を見落としたり
  大声は出すけれど
  発揮している能力に目が向きにくくなってしまう恐れがあります。

言葉と概念は密接に結びついています。

視覚障害を持つ認知症のある方に
毎回その都度、名乗ることは確かに1手間かもしれませんが
たった3秒でこちらの配慮を伝えることができ
その方の安心感につながるとしたら
その3秒を惜しむ理由が他にあるとは思えません。

ちなみに
「声しかわからない」とおっしゃった方は
大声や介護拒否もある方ですが
ラジオ体操や個別リハ、食事介助など何かすると
必ず「どうもありがとう」「お疲れさま」
私が名乗ると「はい、よっしーさん」と必ず復唱。

声かけの工夫、対応の工夫は大切です。
大切さを否定する人はいないと思う。
でも、それらの根幹にある視点が
認知症のある方がどのように受け取るか ではなくて
こちらのモットーやスローガンの実践になっていたり
表面的に生活障害やBPSDをいかになくすかという考えだったり
してるんじゃないかと思います。
だから、うまくいかない。。。
あるいは、短期的にうまくいったように見えても
長期的には、逆効果になっている。。。
本当にもったいないと思います。

 

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