舌の動きが見落とされている

舌の動きが見落とされている食事介助において
看護介護職員が重点を置いてみているのは
ムセないかどうか…ということです。
これはとても大切なことです。
でも、ムセなければ食べ方がOKということにはなりません。
ところが、ムセないから大丈夫…という判断が下されがちで、案外、舌の動きが見落とされてしまいがちです。
つまり、ムセないから嚥下は大丈夫、他はわからないけど…ではなくて
ムセないから食べること全般も大丈夫…という判断になってしまう傾向が高いのです。

たいていの施設、病院において
対象者の食べ方の能力よりも高い食形態が選択されがちな傾向があるのは、このような背景があるからではないかと考えています。

食事を介助していれば、口腔内に食塊が残っているかどうか、食塊が残りやすい部位があるのかどうか…ということはわかります。
少なくとも、食事後の口腔ケアの時に、口腔内に食塊が残っていることは確認しているはずなのです。
口の中に食塊が残っている…ということは、舌の動き=本来の意味の咀嚼が不十分なことを意味しています。
それなのに、食形態の変更について検討されていないことが多いようで不思議に思います。

食べこぼしがひどかった方や
食事を食べようとしなかった方
食事中に手を口の中につっこみ手づかみ食べをしていた方が
食形態を落としたことにより、スムーズに食べられるようになった…というケースは枚挙にいとまがありません。

見た目にも美味しくお食事していただきたい…という気持ちはわかりますが
対象者の食べる能力よりも高すぎる食形態の選択は、不適切な環境への不適切な学習をさせてしまうおそれがあります。
「生活リハ」という言葉が誤解されているのではないかと感じています。
むしろ、適切な食形態で十分に「食べる」ことの再学習ができると、1ランク上の食形態でも食べられるようになることのほうが多いのです。
(認知症のある方への「学習」については、誤解されていることが多々あると感じているので、そのことはいずれまた記事にするつもりでいます)

ムセの有無だけではなくて、食べ方をちゃんと把握してほしい。
少なくとも、口腔ケアのときに食塊が残っているという事実に気がついたら、単にその場で口の中をきれいにするということだけではなくて、何が起こっているのか、その事実が示している意味について考えをめぐらせてほしいと思っています。

食事は生命に直結した場面ですし、最後まで残るADLでもあります。
食形態の選択、食事介助の方法の選択が、対象者の「食べる」能力と障害について、適切に把握したうえでの選択になっていきますように…。
心から願っています。
 

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